イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2003年に書かれたケーニグセグ・CCのレビューです。


CC

ジェレミー・パックスマンは21世紀人の代表格だ。文化的で、都会的で、博識で、頭の回転が速い。しかし、その一見洗練された外面の裏側では、キネズミの脳が脈打っている。高級ヘアカットの中身は、AC/DCのベーシストどころか、そこら辺の犬やブロントサウルスと大差ない。

Top Gearでは先週、パックスマンとカートで対決するという収録を行ったのだが、パックスマンはレースが始まる前、別の報道番組で気取った風にこう語っていた。
私は今までにゴーカートなんて見たこともなくてね。

ジェレミー・パックスマンみたいな男なら、ゴーカートなど嫌って当然だ。にもかかわらず、結局、あの報道番組の真面目な男が、こともあろうに間抜けなスーツを着て、やかましいだけの何の意味もない乗り物に乗り込んだ。

しかも、彼はカートを気に入ったらしい。カートに乗るのは寒いし、大変だし、危険だって伴う。無教養だし、荒々しいし、非建設的だし、彼のイメージとは正反対だ。にもかかわらず、カートに乗って背骨を振動させるのは非常に楽しい。なぜなら、地面すれすれに座ってカートで走るのは非常にスリリングだからだ。

スピードは危険だと誰もが騒ぎ立てている。テレビCMも、高速道路の電光掲示板も、スピードを落とせと警告している。あちこちにオービスが張り巡らされている。しかし実のところ、そんなことをしても何の意味もない。

人間は、空気や水、食料を求めているのと同じように、スピードを求めている。

速く走ることによって生まれる時間的余裕の話をしているわけではない。もちろん、速く走れば目的地にも早く到着する。そうすれば、やりたいことをたくさんすることができる。たくさん仕事をすることができるし、たくさん勉強することができる。要するに、速く走れば走るほど、人は賢くなっていく。

それだけではない。義母に会いに行くにしても、スピードがあれば泊まらずにその日のうちに帰ってくることができる。

科学的な話をしよう。何千年も前、人間は山の向こうに何があるか知らなかった。その先に何があるのかを探索するのは非常に危険だったのだが、もし人間が同じ所に留まり続けていたとしたら、我々は今でもエチオピアに住み続けていたことだろう。

クリストファー・コロンブスが大西洋を航った理由は、ニール・アームストロングが月へと飛んだ理由は何なのだろうか。人はなぜバンジージャンプをするのだろうか。その答えは単純だ。人間は危険が好きだからだ。

動物の根源にあるのは大脳の辺縁系だ。このナメクジのような物体が我々の本能を突き動かしている。

なにか危険なことをすれば脳内にドパミンが放出されて人は快楽を感じる。サッカーの試合でゴールを決めた直後のサッカー選手にもこの現象が起こる。プレイヤーは得点のチャンスを得て、そこから見事にゴールを決めるとエクスタシーの海に溺れる。

コカインを摂取すると強制的にドパミンが放出される。これこそがコカインが中毒を引き起こす理由だ。しかし、廃人にならずとも同じだけの快楽を得る方法がある。車に乗り込んでアクセルを踏めばいいだけの話だ。

もうすぐグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードが始まる。グッドウッドにある私有地において、世界中の名車が野次馬に囲まれながら走るイベントだ。

是非ともこの祭典のスタート地点に行って確認してみて欲しい。そこでは、世界中から集まった各界の大物がスタートの合図を待っている。スタート前には、これはレースではないのだからスピードを出す必要などないと口を揃えて言うはずだ。

しかし、ヘルメットをかぶり、ステアリングを握った瞬間、脳が叫び出す。ドパミンが欲しいと。そして、誰もが煙と音を撒き散らす。

野次馬だって同じだ。何も変わらない。目の前を大音量のV8サウンドを響かせて駆ける車が通り過ぎれば、本能がこう考えるはずだ。ついに来たか、と。そして、危険を求める大脳辺縁系が暴れはじめる。

真夜中、家の周りで大音量を響かせて走る車があれば、まるで肉食動物に追われる草食動物のような状態になるはずだ。血液は筋肉に集中する。だからこそ、顔面は蒼白になってしまう。

今度ニュース番組でパックスマンを見かけたら、こう考えてみて欲しい。彼の脳は知的なことを考えているのだろうが、そのさらに奥底では危険を求めているのだと。

危険を察知したとき、大量のエンドルフィンやアドレナリンが血液に流れ込む。フェラーリ・GTOで190km/hを出しても同じことが起こる。そしてだからこそ私は、サリーのテストトラックでケーニグセグの最高速度を試してみようと思った。

ケーニグセグ氏はある日突然スーパーカーを作ろうと思い立った変人だ。フェラーリやランボルギーニは危機感を持つべきだ。大いに危ぶむべきだ。

スウェーデンは妙な国だ。せいぜい172人くらいしか人が住んでいないにもかかわらず、国民が何かをやろうとすると世界がそれに注目する。スウェーデンは空前のウィンブルドン覇者を生み出したし、世界中の人間がこぞってスウェーデンの家具を買っている。

誰でもできることに関しては、スウェーデン人の右に出る者はいない。誰かがロナルド・レーガンの暗殺に失敗した数年後、あるスウェーデン人が自国の首相であるオロフ・パルメを暗殺した。しかも驚くべきことに、その犯人はまだ捕まっていない。

では、この車はどんな車なのだろうか。車重はマクラーレン・F1と同等で、空力性能では少し勝っており、664PSという最高出力もわずかに勝っている。その結果、当然ながら最速のロードカーとなっている。

最高速度は公称で386km/hだそうだが、これはミハエル・シューマッハが仕事で出した数字よりも50km/hほど速い。

私の大脳辺縁系はこの車に惹かれた。運転してみてなお惹かれた。最初に運転した時には少しフロントが軽いのではないかと思ったのだが、ケーニグセグ氏はこう答えた。
大丈夫ですよ。あとで足回りを調整しておきますから。それから、フロントウインドウはビニールテープで補強しておきますし。

そんな車で270km/h以上のスピードを出すのは危険だったのだが、私の動脈には尋常ではない量の化学物質が流れ込み、そんなことを気にしている暇はなかった。

結局、私は280km/hを出すことに成功した。これはテストトラックで出した従来の最高記録を6km/h上回っている。この時にはドパミンが溢れ出していた。スピードは危険だというのは事実だろう。けれど、そこにはスリルが伴っている。

ケーニグセグも同じだ。この車は猛獣だ。地球の中心と同じくらいに熱く、鋳造所と同じくらいにやかましい。危険は計り知れない。けれど、それを代償に得られるものもまた大きい。

コーナーに近付き、シフトダウンをしてブレーキを強くかける。左足は重いクラッチのせいで痛み始める。ステアリングにはアシストこそあるものの、それでもかなり重い。なので、車を安定させるため、常に腕に力を入れていなければならない。

4.7LのV8エンジンはグルルルルと吠える。スーパーチャージャーはウィイイイイと叫ぶ。そして、タイヤはトラクションを失い、キイイイイと悲鳴を上げる。

スライドさせるためにカウンターステアを当てるのだが、まだ足りない。もっと回す必要がある。もっと力を入れなければならない。腕はかなり痛みはじめるのだが、それでも車が暴れないように集中し続けなければならない。

そして、タイヤからは煙が上がり、車は完璧に思い通りにスライドしはじめる。ドライバーは汗だくになり、一日中アームレスリングしたかのごとき疲労困憊の状態になるのだが、ドパミンのせいでそんな疲れには気付かない。

これこそがスーパーカーの世界だ。言うまでもなく、スーパーカーなど馬鹿げた車だ。こんな車に乗りたがるような人間も同じように馬鹿げている。けれど、人間はそういう存在なのだ。


Fasten your safety harness, now we're really gonna fly