イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、2009年に書かれたアルファ ロメオ MiTo 1.4 TB のレビューです。

かつて、近所の魚屋が顧客の名前から好みの魚まで把握していた頃、"ブランド志向"にはちゃんと意味があった。しかし、今やスーパーマーケットの時代であり、店にこだわるなんて馬鹿げている。財布の中にはポイントカードが溢れているはずだ。
しかし、私はそんな流れに反抗している。ヴァージン航空の方が良いと知りながらもBAを使っている。HSBCだって良い銀行だと分かってはいるのだが、いまだにバークレイズを使っている。最近のリーバイスを穿いていると屈んだ時に尻が丸見えになってしまうと知りながらも、ラングラーでジーンズを買うことはない。
この話が腕時計に関する疑問に繋がる。ここのところ、新しい腕時計を何にしようか悩んでいるのだが、これがまた難問だ。
私はアウディ乗りではないのでブライトリングは買えない。下着屋のカルバン・クラインの時計なんて買いたくないし、サッカー選手の嫁ではないのでグッチも買えないし、宇宙から見えるほどに巨大な腕時計を身に着けられるほど私の腕は太くないのでTWスティールも買えないし、8歳児ではないのでティソも買えないし、偽物のロレックスよりも酷い腕時計は本物のロレックスしかない。
ロレックスの異常さに気付いているだろうか。最近のロレックスは人が動くと自動巻きしてくれる。しかし、ロレックスのオーナーの多くは右腕に時計を身に着けている。結論を急ぐつもりはないが、おかしいとは思わないだろうか。
しかし、上述したようなブランドを選びたくない最大の理由は、私がオメガ派だからだ。私は長らくシーマスターを愛用してきた。それは、ジェームズ・ボンドも着けていたからとか、ニール・アームストロングが月にオメガを着けて行ったからとかそういう理由ではなく、私が学校に入学する時に父からジュネーブダイナミックを貰ったからだ。
しかし、ここ数年のオメガは酷い。見た目がつまらなくなってしまった。まるで、フェラーリやランボルギーニが溢れる世界におけるベクトラのようだ。例えば、デ・ヴィル プレステージはいまだに白黒テレビを持っているような人間がデザインしたとしか思えない。
おかげで私は絶望してしまった。私は腕時計が欲しい。バークレイズを使い、リーバイスを穿き続けているのと同じように、私はオメガを買いたいと思っている。しかし、オメガの商品自体には魅力がない。まるでリーズ・ユナイテッドだ。かつては、ピーター・ロリマーやゲイリー・スプレイクが所属していたにもかかわらず、今やろくでなしの巣窟だ。
しかしあるとき、香港で見つけた。新しいオメガを。レイルマスターと名の付いたその腕時計は、他に並ぶものがないほど美しかった。
この時計にはキリマンジャロでヘリコプター事故に遭った時に救助を求めるようなボタンは付いていないし、8,000m対応の防水性があるわけでもないし、ストップウォッチ機能も付いていないし、空気圧を教えてくれるわけでもないし、それどころか、毎朝巻き直さなければ止まってしまう。
要するに、これは活動性の欠片もない人間のための時計だ。ハンググライダーを楽しんだり、潜水艦に乗ったりなどしない人のための時計だ。私はすぐにこの時計を購入した。
アルファ ロメオの話題に移ろう。このブランドに対する忠誠心は昔のGTV6を購入した時に生まれた。毎晩のようにタイヤから空気が抜けた。数日間運転しないとツインプレートクラッチとフライホイールがくっついてしまった。あるとき、100km/hで走行中にギアとプロペラシャフトが外れてしまった。その時の音はそれはもう凄かった。レイプされたブライアン・ブレスドのようだった。
設計もおかしかった。ハッチバックであるにもかかわらず、設計者がワインで酔っ払っていて燃料タンクをリアシートの後ろに配置したため、リアシートを倒すことさえできなかった。ドライビングポジションは信じられないくらいに酷い。腕の長さが180cm、背骨は圧縮されていて、膝に足首が直接繋がっている人間にしか快適に座ることはできなかった。
それでも、走りの素晴らしさでそんな欠点も相殺される、と想像する人もいるだろう。しかしそんなことはない。実のところ、アルファスッド以降のアルファ車はライバル車と大差なかった。それに、今やアルファはフィアットの一部門だ。
しかし、何度も言ってきたように、アルファを所有するということは、車と家電製品の違いを理解するために必要な車好きの通過儀礼だと思う。
アルファには欠陥があり、まるで魂や感情を持った人間のようだ。アルファ車はどれも(当然、アルナは例外だが)ロシアの小説に出てくる英雄のようだ。全て理解することなどできないほどに深い車だ。
あるいは、コカインにも似ている。不気味なほどにハイになれる。しかし、そこには酷い副作用が伴う。
私はずっと、アルファの人間らしさはそのままに、走りの素晴らしい車が登場して欲しいと願っていた。そして、MiToこそが、ひょっとしたらその答えなのかもしれないと本気で思っていた。1970年代の栄光を失い、リーズ・ユナイテッドのようになってしまったアルファにとってのレイルマスターになれると思っていた。
しかし違った。エンジンの応答性を変化させることのできる先進的な電子制御は付いているのだが、どのモードを選ぼうとも、シリコン製の胸を揉むような感覚の電動パワーステアリングのせいで台無しだ。これではゼリーの詰まった袋を触っているだけだ。
MiToにはショックアブソーバーにコイルオーバースプリングが用いられている新設計のサスペンションが付いている。これだけ読めば凄そうに思えるのだが、実際は乗り心地が悪いだけだ。
問題は他にもある。ルーフが傾斜しているためリアのヘッドルームは窮屈だし、荷室も狭い。ステアリングとダッシュボードの間の部分の質感はあまりにもチープだし、ステアリングがすぐに取れてしまいそうだ。
しかしもちろん、私はこの車が気に入った。どんな欠点も目に入らなかった。むしろ、ヘッドランプ周辺のパーツを選べるという点が非常に気に入った。まるでフラット4のような排気音にも惹かれたし、155PSの(フィアット製)ターボエンジンも気に入ったし、上級車のようなインテリアも気に入った。しかし、なにより嬉しいのは「何に乗っているんだい?」と訊かれた時に「アルファさ」と答えられるという点だ。
男なら、レーサーに憧れるはずだ。女なら、映画のヒロインに憧れるはずだ。アルファなら、スーパーカーでなくともその憧れを叶えることができる。
実用性を求めるなら、もっと優れたコンパクトカーがある。例えばミニだ。走りを求めるなら、もっと優れたコンパクトカーがある。例えばミニだ。それに、もっと質感の優れたコンパクトカーもある。例えばミニだ。しかし、ブランド志向のアルファ信者にとって、MiToに勝るコンパクトカーは存在しないだろう。
The flawed but fun Alfa MiTo
今回紹介するのは、2009年に書かれたアルファ ロメオ MiTo 1.4 TB のレビューです。

かつて、近所の魚屋が顧客の名前から好みの魚まで把握していた頃、"ブランド志向"にはちゃんと意味があった。しかし、今やスーパーマーケットの時代であり、店にこだわるなんて馬鹿げている。財布の中にはポイントカードが溢れているはずだ。
しかし、私はそんな流れに反抗している。ヴァージン航空の方が良いと知りながらもBAを使っている。HSBCだって良い銀行だと分かってはいるのだが、いまだにバークレイズを使っている。最近のリーバイスを穿いていると屈んだ時に尻が丸見えになってしまうと知りながらも、ラングラーでジーンズを買うことはない。
この話が腕時計に関する疑問に繋がる。ここのところ、新しい腕時計を何にしようか悩んでいるのだが、これがまた難問だ。
私はアウディ乗りではないのでブライトリングは買えない。下着屋のカルバン・クラインの時計なんて買いたくないし、サッカー選手の嫁ではないのでグッチも買えないし、宇宙から見えるほどに巨大な腕時計を身に着けられるほど私の腕は太くないのでTWスティールも買えないし、8歳児ではないのでティソも買えないし、偽物のロレックスよりも酷い腕時計は本物のロレックスしかない。
ロレックスの異常さに気付いているだろうか。最近のロレックスは人が動くと自動巻きしてくれる。しかし、ロレックスのオーナーの多くは右腕に時計を身に着けている。結論を急ぐつもりはないが、おかしいとは思わないだろうか。
しかし、上述したようなブランドを選びたくない最大の理由は、私がオメガ派だからだ。私は長らくシーマスターを愛用してきた。それは、ジェームズ・ボンドも着けていたからとか、ニール・アームストロングが月にオメガを着けて行ったからとかそういう理由ではなく、私が学校に入学する時に父からジュネーブダイナミックを貰ったからだ。
しかし、ここ数年のオメガは酷い。見た目がつまらなくなってしまった。まるで、フェラーリやランボルギーニが溢れる世界におけるベクトラのようだ。例えば、デ・ヴィル プレステージはいまだに白黒テレビを持っているような人間がデザインしたとしか思えない。
おかげで私は絶望してしまった。私は腕時計が欲しい。バークレイズを使い、リーバイスを穿き続けているのと同じように、私はオメガを買いたいと思っている。しかし、オメガの商品自体には魅力がない。まるでリーズ・ユナイテッドだ。かつては、ピーター・ロリマーやゲイリー・スプレイクが所属していたにもかかわらず、今やろくでなしの巣窟だ。
しかしあるとき、香港で見つけた。新しいオメガを。レイルマスターと名の付いたその腕時計は、他に並ぶものがないほど美しかった。
この時計にはキリマンジャロでヘリコプター事故に遭った時に救助を求めるようなボタンは付いていないし、8,000m対応の防水性があるわけでもないし、ストップウォッチ機能も付いていないし、空気圧を教えてくれるわけでもないし、それどころか、毎朝巻き直さなければ止まってしまう。
要するに、これは活動性の欠片もない人間のための時計だ。ハンググライダーを楽しんだり、潜水艦に乗ったりなどしない人のための時計だ。私はすぐにこの時計を購入した。
アルファ ロメオの話題に移ろう。このブランドに対する忠誠心は昔のGTV6を購入した時に生まれた。毎晩のようにタイヤから空気が抜けた。数日間運転しないとツインプレートクラッチとフライホイールがくっついてしまった。あるとき、100km/hで走行中にギアとプロペラシャフトが外れてしまった。その時の音はそれはもう凄かった。レイプされたブライアン・ブレスドのようだった。
設計もおかしかった。ハッチバックであるにもかかわらず、設計者がワインで酔っ払っていて燃料タンクをリアシートの後ろに配置したため、リアシートを倒すことさえできなかった。ドライビングポジションは信じられないくらいに酷い。腕の長さが180cm、背骨は圧縮されていて、膝に足首が直接繋がっている人間にしか快適に座ることはできなかった。
それでも、走りの素晴らしさでそんな欠点も相殺される、と想像する人もいるだろう。しかしそんなことはない。実のところ、アルファスッド以降のアルファ車はライバル車と大差なかった。それに、今やアルファはフィアットの一部門だ。
しかし、何度も言ってきたように、アルファを所有するということは、車と家電製品の違いを理解するために必要な車好きの通過儀礼だと思う。
アルファには欠陥があり、まるで魂や感情を持った人間のようだ。アルファ車はどれも(当然、アルナは例外だが)ロシアの小説に出てくる英雄のようだ。全て理解することなどできないほどに深い車だ。
あるいは、コカインにも似ている。不気味なほどにハイになれる。しかし、そこには酷い副作用が伴う。
私はずっと、アルファの人間らしさはそのままに、走りの素晴らしい車が登場して欲しいと願っていた。そして、MiToこそが、ひょっとしたらその答えなのかもしれないと本気で思っていた。1970年代の栄光を失い、リーズ・ユナイテッドのようになってしまったアルファにとってのレイルマスターになれると思っていた。
しかし違った。エンジンの応答性を変化させることのできる先進的な電子制御は付いているのだが、どのモードを選ぼうとも、シリコン製の胸を揉むような感覚の電動パワーステアリングのせいで台無しだ。これではゼリーの詰まった袋を触っているだけだ。
MiToにはショックアブソーバーにコイルオーバースプリングが用いられている新設計のサスペンションが付いている。これだけ読めば凄そうに思えるのだが、実際は乗り心地が悪いだけだ。
問題は他にもある。ルーフが傾斜しているためリアのヘッドルームは窮屈だし、荷室も狭い。ステアリングとダッシュボードの間の部分の質感はあまりにもチープだし、ステアリングがすぐに取れてしまいそうだ。
しかしもちろん、私はこの車が気に入った。どんな欠点も目に入らなかった。むしろ、ヘッドランプ周辺のパーツを選べるという点が非常に気に入った。まるでフラット4のような排気音にも惹かれたし、155PSの(フィアット製)ターボエンジンも気に入ったし、上級車のようなインテリアも気に入った。しかし、なにより嬉しいのは「何に乗っているんだい?」と訊かれた時に「アルファさ」と答えられるという点だ。
男なら、レーサーに憧れるはずだ。女なら、映画のヒロインに憧れるはずだ。アルファなら、スーパーカーでなくともその憧れを叶えることができる。
実用性を求めるなら、もっと優れたコンパクトカーがある。例えばミニだ。走りを求めるなら、もっと優れたコンパクトカーがある。例えばミニだ。それに、もっと質感の優れたコンパクトカーもある。例えばミニだ。しかし、ブランド志向のアルファ信者にとって、MiToに勝るコンパクトカーは存在しないだろう。
The flawed but fun Alfa MiTo

