イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、新型 フィアット・500 TwinAirのレビューです。


Fiat 500

もし、ロンドンにショッピングに行こうと思っている人がいたら、その人に言いたいことがある。代わりにピーターバラやスウィンドンに行くことは考えただろうか。

何百年も前、都市が設計された頃には、将来どうなるかなど正確には把握できていなかった。将来的に1日800万人以上が行き交う街になるだなんて予測できるはずがない。それは昔の固定電話に写真撮影機能を求めるようなものだ。

しかし、それだけの人間が行き交っても街は耐えている。まるで古い大戦艦のようだ。あちこち撃たれ、舵まで壊れてしまっても、依然として闘い続ける。

ところが、現在ロンドンの都市計画を担当しているのはパニックに陥った猿だ。ご存知かとは思うが、ロンドンの公共交通機関を管理しているのは理想主義者と狂人だ。そうでなければバスレーンなどというシステムが生まれるはずがない。
ロンドンの道は馬車のために設計されたから、車には狭すぎる。だったら、車線を半分バス専用にして、老人が郵便局に早く行けるようにしよう。

続いて自転車レーンまで登場した。
今度は共産主義者用の車線を整備することにしよう。それから、信号が赤の時に自転車が止められるスペースを車の停止線の前に作ろう。

当然、この会議ではこんな意見も出たはずだ。
しかし、自転車乗りは赤信号では止まりませんよね。
こんな意見を言うような人間は、精神疾患のレッテルを貼られて更生施設送りになったことだろう。

それだけではない。ケン・リヴィングストンは在任中に信号機の切り替わりのタイミングを太陽の動きに合わせた。その結果、赤信号と黄色信号が14時間続き、夕方に一瞬だけ青信号となるようになってしまった。

駐車スペースの問題もある。邪魔になる車は道に固定してしまえということになり、なおいっそう車が邪魔になる結果となった。あるいは、レッカー移動されることもあるのだが、この際にもやはり相当に交通に支障をきたす。

それに、アフリカや中東からユーロスターに乗ってはるばるロンドンにやって来た人々に対しては、Uberのトヨタ・プリウスに乗ることが推奨されている。これは死ねと言っているのと同義だ。しかし、そんな馬鹿げた監視社会となっても、首都はなお成長を続け、栄華を極めている。

そしてついに、狂人たちは新たなる計画を思いついた。恐ろしい計画だ。ロンドン中の道路すべてを同時に掘り起こすというものだ。これは笑い事では決して流せない深刻な話だ。

あらゆる住宅街の道が掘削作業により閉鎖されてしまう。あらゆる脇道に交通静穏化のための対策がとられるようになる。あらゆる幹線道路がクロスレール建設のために交通規制される。それどころか、川沿いの半分は自転車専用道路新規建設のために閉鎖されてしまう。ありえない話だ。

私まで絶望してしまいそうだ。既に悪夢は始まっている。ロンドンに行けば分かるはずだ。夜、ベッドで横になりながら、不必要な渋滞のせいでいかに時間を無駄にしたのかを思い出し、怒りに打ち震えてしまった。

それから、自分の無力さを痛感した。私は殺されたくはないのでバスになど乗れない。寒いし雨もよく降るので自転車に乗るわけにもいかない。それに、地下鉄に乗るわけにもいかない。理由はなんとなくだ。

そしてこの話が今回の主題であるフィアット・500の話にうまく繋がる。ひょっとしたら、この車こそが光明なのかもしれない。小さく、車線を無視して走ることができ、どんな狭い駐車スペースにも収まる。そんな車こそ、パニックに陥った猿に対する特効薬なのかもしれない。

この仮説はローマのような都市では正しいのだろう。ローマには区切られた駐車スペースというものがあまりない。しかし、ロンドンではレンジローバーも停まれるように駐車スペースがきっちりと区切られている。つまり、小さな車を使おうが何も変わりはしない。

それに、車線を無視して走れるという点についてだが、確かに小型車ならヨーロッパの街中を自由自在に走れるのだろうが、ロンドンは例外だ。例えば、ホランド・パーク・アヴェニューは2車線なのだが、そこで車線を無視すれば周りから睨まれてしまう。イギリスにおいて周りから睨まれるというのは最悪の事態だ。

つまり、ロンドンでは小型車に乗る意味などない。大型車に乗ろうが小型車に乗ろうが同じように渋滞にはまってしまう。むしろ、500のような小型車のほうが事故に遭った時には危険だ。ただし、リアシートに座っていれば事故に遭っても怪我をすることはないだろう。即死するからだ。

結局のところ、500を買う理由は「気に入ったから」しかない。実際、私は500を気に入った。試乗したモデルにはマットブラックのフラワー模様が入っており、ボディカラーはブラック、ドアミラーはグリーンだった。これは460ポンドのオプションなのだが、なかなか素敵だった。

搭載されているのは先進的な2気筒0.9Lエンジンで、不思議な魔法のおかげで最高出力104PSを発揮する。この数字は初代ゴルフGTIともさほど変わらない。

ターボラグはそれなりにあるし、かなり鬱陶しい。ターボがかかり始めてこれからというときに道路工事のせいで交通の流れが止まってしまう。1週間の試乗期間で1回だけ全力を出すことができたのだが、それだけ待った甲斐はあった。エンジンが会心の一撃を繰り出し、まるで狂気のゴーカートに乗っているかのような気分になった。

この車は楽しい。それに装備も充実している。年寄りには使いづらい電子機器もあるのだが、12歳未満の子供ならばきっと満足することだろう。それに、渋滞の暇潰しにもなる。

しかし、私は渋滞にはまりながら考え事をした。こんな状態を生み出した人間の皮を剥いでやりたいと思った。それから、2時間の渋滞をやり過ごす車としては、太平洋沿岸国で製造されたどんな車よりも500の方が適していると感じた。500に乗っていると、よく晴れた日に可愛い愛犬と一緒に公園で散歩をしているような気分になる。いずれ、「この緑の耳、とっても可愛いですね」と話しかけられるようなこともあるかもしれない。そうすれば、話に花が咲いて、それから、さてどうなるだろうか。

要するに、この車はワイパーの付いたTinderだ。


The Clarkson review: 2015 Fiat 500