イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、2009年に書かれたテスラ・ロードスターのレビューです。

私は自動車メーカーにとって無害な存在だし、大半の自動車メーカーはそのことを理解している。ところが、時に私を有害だと認定して怒りだすメーカーも存在する。
何年も前、フランスのルノーはイギリスの営業部門に対し、BBCに広告を出稿することをやめるよう通告した。ルノーの役員は、そもそもBBCがCMなど流さないことすら知らず、顔を真っ赤にしていた。
それからトヨタもそうだ。1990年代、カローラと冷蔵庫を不当に同列に扱ったとして、カローラが世界最高の車であり、キリストと同じくらいに尊い車であることを認めなければ、二度と車を貸さないと脅してきた。
ヴォクスホールもベクトラに対する評価に同じように反発したし、サンヨンはまだ何も言っていないうちから車に乗るのを禁じた。先日、サンヨンの広報担当者に新型レクストンを借りたいと申し出たのだが、他に優先すべきことがあるからと断られてしまった。
もし、このときサンヨンの社屋が火事だったのならこの返答も理解できる。私なんかと話すよりも早く逃げた方がいい。しかし、自動車メーカーの広報担当者にとって、モータージャーナリストに新製品を貸すこと以上に優先すべきことなど、火事以外には思いつかない。
それから、BMWの広報部門からサンデー・タイムズ宛に届いた手紙も忘れられない。いくら私がBMWを嫌いだからといって、BMWのドライバーが、変なサングラスをかけ、ダサいシャツを着て、髪にはジェルを塗りたくり、隣にはケバい女を乗せて強引な運転をするだの、酷い家に住んでいるだの、ゴルフが大好きだの、フリーメイソンの会員だのという偏見を広めるのはやめて欲しいそうだ。ジャガーにいくら金を貰っているのだが知らないが、謂れのない罵りはやめて欲しいとも書かれていた。
とはいえ、どれもあくまで穏やかな反論だ。私が自動車メーカーと直接話すことはないし、直接文句を言われることもない。私はあくまで、メーカーから車を借りて、その車について評価するだけの立場だ。私の評価が甘かろうと、辛かろうと、間違っていようと、世界は変わらず回り続ける。
しかし、以前にTop Gearにおいてテストしたテスラの電気自動車スポーツカーのケースは特殊だった。この件はこじれてしまった。テスラいわく、この車はどれだけ乱暴に運転しようと航続距離320kmを実現するらしいのだが、ちょっと乗っただけでバッテリー残量が20%まで減ってしまい、これではまともに撮影できないと思った。
幸い、テスラは予備の車も用意してくれていたため、そちらを代わりに使うことにした。しかし、代わりの車はしばらくしてオーバーヒートしてしまった。なので、まだ充電が完了していない1台目の車をもう一度使おうとしたのだが、ブレーキがまともにかからなくなっていた。結局、撮影に使える車はなくなってしまった。
当然、出来上がった映像はまとまりがなくなってしまった。車の色がシルバーになったりグレーになったりした。そんな中で、私は言葉を尽くして車の説明をしなければならなかった。それに、新しくできたBBCの厳しいコンプライアンス方針にも従わなければならなかった。自分たちの言ったこと、行ったことは、これ以上なく正当で、これ以上なく正確で、これ以上なく公平でなければならないという方針だ。
制作現場はてんてこ舞いだった。電話が鳴り止むことはなかった。編集方針がさんざん議論され、専門家まで引き入れられた。真実の追求のため、あらゆる努力がなされた。
結局、そうして作られた映像は真実であり、それに対してテスラが文句を言う筋合いはない。それ以前に、もともとテスラは文句など言っていなかった。ところが、Top Gearは世界中の新聞から大々的に非難されることとなった。デイリー・テレグラフはやらせがあったという記事を書いた。ガーディアンは「秘密主義だ」と我々を批判した。ニューヨーク・タイムズは我々が世論を誤った方向に誘導しているのではないかと疑念を呈した。デイリー・メールはTop Gearを見ると乳癌になるおそれがあるという報道を行った。
これは変な話だ。実際のところ、我々の使った車に起こった現象と似たような現象は様々な人が報告している。ブレーキが効かなくなったのはヒューズが飛んだからだし、90km走っただけでバッテリーがなくなってしまうのもよくあることだと多くの人が同意している。
そもそも、一体誰がこの騒動を誘発したのだろうか。私がBMW 1シリーズを取るに足らない車だと評そうが、キア・リオは地雷以来の人類最悪の発明だと評そうが、誰も文句を言うことはなかった。ところが、環境保護活動に熱心なテスラについて酷評した途端、誰もが怒り狂った。
私が経験したのは、ひょっとしたら、大学教授が「地球温暖化など人間が作り出した幻想にすぎない」と言った途端、袋叩きにされるのと同じような現象なのかもしれない。目には見えない誰かに叩き潰され、研究資金はどこからも貰えなくなってしまう。非常に恐ろしい話だ。
しかし、正直なところ、アメリカ製のテスラの最大の問題は、ディナーパーティーでしか使いものにならないという点だ。誰かにテスラを持っていると自慢すれば、たちまちセックスすることができるだろう。しかし、移動手段として考えればほうれん草と同じくらいの実用性しかない。
確かにこの車は速い。200km/hで頭打ちになってしまうものの、そこまでに至る加速は文字通り電撃的だ。実際、0-100km/h加速は3.9秒を記録する。これは、可動部分がグレープフルーツ程度の大きさしかないにもかかわらず、莫大なトルクを発揮することができるという電気モーターの特性によるものだ。
それに、静粛性も高い。高速域ではタイヤノイズや立て付けの悪いソフトトップから生じる風切り音がやかましいのだが、街中でゆっくり走っている限りでは静かだ。不気味なくらいだ。タコメーターの数字が15,000などのありえない数字を指していればなおさらだ。
しかし、コーナリングの実力は高くない。転がり抵抗を最小限に抑えて航続距離を稼ぐため、タイヤにはトーインもキャンバーも存在しない。このため、ハンドリングには悪影響が生じている。それに、常時冷却を要する6,831個のノートパソコン用バッテリーの重さも問題だ。
しかし、価格という最大の問題に比べれば、ハンドリングなど些末な欠点にすぎない。9万ポンドという価格設定はベースとなっているロータス・エリーゼの3倍だし、実際の価値の9万倍だ。
確かに、ハリウッドのエリートが買いまくることで収益が上がれば、いずれ価格は下がることだろう。しかし、現時点でこんな車に9万ポンドも払うということは、世界終末論を熱心に信じていると公言するのと変わらない。
もちろん、ランニングコストは安い。普通のエリーゼを満タンにするためには40ポンドかかるが、テスラを満タンにするためには、深夜料金であればわずか3.50ポンドしかかからない。それで320km走れるか、90kmしか走れないかは運転の仕方によるだろう。
しかし、ランニングコストなど気にしているなら、こう考えた方がいい。エリーゼを買えば6万ポンドも節約できるし、これだけのお金があれば6万L近いガソリンが手に入る。これだけあれば、地球を20周することもできる。
それに、エリーゼであれば2分で給油は終わる。しかし、通常の13Aのコンセントを使ってテスラを充電しようとすると16時間かかってしまう。家に三相電源の設備を据え付けたとしても4時間はかかってしまう(現在、テスラは3時間半で充電できると公言している)。それに、家に風力発電機を置いて車の充電をしてみたいなどとは考えるべきではない。そんなことをすれば充電するために25日はかかってしまう。
私の言いたいことは分かってもらえたと思う。クリーンな電力とやらがクリーンではない発電所から来ているとかそんな議論をする以前の問題だ。充電には途方もなく時間がかかるし、満充電しても大して遠くへは行けない。それに、我々がテストした2台がどちらもまともに動かなかったことも大きな問題だ。
時が過ぎればテスラも成長し、問題を解決する糸口を見出すこともあるかもしれない。しかし、電気自動車は時間さえあればどうにかなるような車ではない。
テスラがバッテリーの改良に悪戦苦闘しているうちに、ホンダやフォードは燃料電池車の開発を急速に進めている。燃料電池車は充電する必要もないし、普通に燃料を入れることもできるし、本当の意味でクリーンな車だ。テスラの最大の問題は、まともに動かないというところにある。しかし、もし仮にまともに動いたところで、テスラが進んでいる道は完全に間違っている。
Tesla Roadster
今回紹介するのは、2009年に書かれたテスラ・ロードスターのレビューです。

私は自動車メーカーにとって無害な存在だし、大半の自動車メーカーはそのことを理解している。ところが、時に私を有害だと認定して怒りだすメーカーも存在する。
何年も前、フランスのルノーはイギリスの営業部門に対し、BBCに広告を出稿することをやめるよう通告した。ルノーの役員は、そもそもBBCがCMなど流さないことすら知らず、顔を真っ赤にしていた。
それからトヨタもそうだ。1990年代、カローラと冷蔵庫を不当に同列に扱ったとして、カローラが世界最高の車であり、キリストと同じくらいに尊い車であることを認めなければ、二度と車を貸さないと脅してきた。
ヴォクスホールもベクトラに対する評価に同じように反発したし、サンヨンはまだ何も言っていないうちから車に乗るのを禁じた。先日、サンヨンの広報担当者に新型レクストンを借りたいと申し出たのだが、他に優先すべきことがあるからと断られてしまった。
もし、このときサンヨンの社屋が火事だったのならこの返答も理解できる。私なんかと話すよりも早く逃げた方がいい。しかし、自動車メーカーの広報担当者にとって、モータージャーナリストに新製品を貸すこと以上に優先すべきことなど、火事以外には思いつかない。
それから、BMWの広報部門からサンデー・タイムズ宛に届いた手紙も忘れられない。いくら私がBMWを嫌いだからといって、BMWのドライバーが、変なサングラスをかけ、ダサいシャツを着て、髪にはジェルを塗りたくり、隣にはケバい女を乗せて強引な運転をするだの、酷い家に住んでいるだの、ゴルフが大好きだの、フリーメイソンの会員だのという偏見を広めるのはやめて欲しいそうだ。ジャガーにいくら金を貰っているのだが知らないが、謂れのない罵りはやめて欲しいとも書かれていた。
とはいえ、どれもあくまで穏やかな反論だ。私が自動車メーカーと直接話すことはないし、直接文句を言われることもない。私はあくまで、メーカーから車を借りて、その車について評価するだけの立場だ。私の評価が甘かろうと、辛かろうと、間違っていようと、世界は変わらず回り続ける。
しかし、以前にTop Gearにおいてテストしたテスラの電気自動車スポーツカーのケースは特殊だった。この件はこじれてしまった。テスラいわく、この車はどれだけ乱暴に運転しようと航続距離320kmを実現するらしいのだが、ちょっと乗っただけでバッテリー残量が20%まで減ってしまい、これではまともに撮影できないと思った。
幸い、テスラは予備の車も用意してくれていたため、そちらを代わりに使うことにした。しかし、代わりの車はしばらくしてオーバーヒートしてしまった。なので、まだ充電が完了していない1台目の車をもう一度使おうとしたのだが、ブレーキがまともにかからなくなっていた。結局、撮影に使える車はなくなってしまった。
当然、出来上がった映像はまとまりがなくなってしまった。車の色がシルバーになったりグレーになったりした。そんな中で、私は言葉を尽くして車の説明をしなければならなかった。それに、新しくできたBBCの厳しいコンプライアンス方針にも従わなければならなかった。自分たちの言ったこと、行ったことは、これ以上なく正当で、これ以上なく正確で、これ以上なく公平でなければならないという方針だ。
制作現場はてんてこ舞いだった。電話が鳴り止むことはなかった。編集方針がさんざん議論され、専門家まで引き入れられた。真実の追求のため、あらゆる努力がなされた。
結局、そうして作られた映像は真実であり、それに対してテスラが文句を言う筋合いはない。それ以前に、もともとテスラは文句など言っていなかった。ところが、Top Gearは世界中の新聞から大々的に非難されることとなった。デイリー・テレグラフはやらせがあったという記事を書いた。ガーディアンは「秘密主義だ」と我々を批判した。ニューヨーク・タイムズは我々が世論を誤った方向に誘導しているのではないかと疑念を呈した。デイリー・メールはTop Gearを見ると乳癌になるおそれがあるという報道を行った。
これは変な話だ。実際のところ、我々の使った車に起こった現象と似たような現象は様々な人が報告している。ブレーキが効かなくなったのはヒューズが飛んだからだし、90km走っただけでバッテリーがなくなってしまうのもよくあることだと多くの人が同意している。
そもそも、一体誰がこの騒動を誘発したのだろうか。私がBMW 1シリーズを取るに足らない車だと評そうが、キア・リオは地雷以来の人類最悪の発明だと評そうが、誰も文句を言うことはなかった。ところが、環境保護活動に熱心なテスラについて酷評した途端、誰もが怒り狂った。
私が経験したのは、ひょっとしたら、大学教授が「地球温暖化など人間が作り出した幻想にすぎない」と言った途端、袋叩きにされるのと同じような現象なのかもしれない。目には見えない誰かに叩き潰され、研究資金はどこからも貰えなくなってしまう。非常に恐ろしい話だ。
しかし、正直なところ、アメリカ製のテスラの最大の問題は、ディナーパーティーでしか使いものにならないという点だ。誰かにテスラを持っていると自慢すれば、たちまちセックスすることができるだろう。しかし、移動手段として考えればほうれん草と同じくらいの実用性しかない。
確かにこの車は速い。200km/hで頭打ちになってしまうものの、そこまでに至る加速は文字通り電撃的だ。実際、0-100km/h加速は3.9秒を記録する。これは、可動部分がグレープフルーツ程度の大きさしかないにもかかわらず、莫大なトルクを発揮することができるという電気モーターの特性によるものだ。
それに、静粛性も高い。高速域ではタイヤノイズや立て付けの悪いソフトトップから生じる風切り音がやかましいのだが、街中でゆっくり走っている限りでは静かだ。不気味なくらいだ。タコメーターの数字が15,000などのありえない数字を指していればなおさらだ。
しかし、コーナリングの実力は高くない。転がり抵抗を最小限に抑えて航続距離を稼ぐため、タイヤにはトーインもキャンバーも存在しない。このため、ハンドリングには悪影響が生じている。それに、常時冷却を要する6,831個のノートパソコン用バッテリーの重さも問題だ。
しかし、価格という最大の問題に比べれば、ハンドリングなど些末な欠点にすぎない。9万ポンドという価格設定はベースとなっているロータス・エリーゼの3倍だし、実際の価値の9万倍だ。
確かに、ハリウッドのエリートが買いまくることで収益が上がれば、いずれ価格は下がることだろう。しかし、現時点でこんな車に9万ポンドも払うということは、世界終末論を熱心に信じていると公言するのと変わらない。
もちろん、ランニングコストは安い。普通のエリーゼを満タンにするためには40ポンドかかるが、テスラを満タンにするためには、深夜料金であればわずか3.50ポンドしかかからない。それで320km走れるか、90kmしか走れないかは運転の仕方によるだろう。
しかし、ランニングコストなど気にしているなら、こう考えた方がいい。エリーゼを買えば6万ポンドも節約できるし、これだけのお金があれば6万L近いガソリンが手に入る。これだけあれば、地球を20周することもできる。
それに、エリーゼであれば2分で給油は終わる。しかし、通常の13Aのコンセントを使ってテスラを充電しようとすると16時間かかってしまう。家に三相電源の設備を据え付けたとしても4時間はかかってしまう(現在、テスラは3時間半で充電できると公言している)。それに、家に風力発電機を置いて車の充電をしてみたいなどとは考えるべきではない。そんなことをすれば充電するために25日はかかってしまう。
私の言いたいことは分かってもらえたと思う。クリーンな電力とやらがクリーンではない発電所から来ているとかそんな議論をする以前の問題だ。充電には途方もなく時間がかかるし、満充電しても大して遠くへは行けない。それに、我々がテストした2台がどちらもまともに動かなかったことも大きな問題だ。
時が過ぎればテスラも成長し、問題を解決する糸口を見出すこともあるかもしれない。しかし、電気自動車は時間さえあればどうにかなるような車ではない。
テスラがバッテリーの改良に悪戦苦闘しているうちに、ホンダやフォードは燃料電池車の開発を急速に進めている。燃料電池車は充電する必要もないし、普通に燃料を入れることもできるし、本当の意味でクリーンな車だ。テスラの最大の問題は、まともに動かないというところにある。しかし、もし仮にまともに動いたところで、テスラが進んでいる道は完全に間違っている。
Tesla Roadster