イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2013年に書かれたジャガー・F-TYPE V8 Sのレビューです。


F-TYPE V8 S

追い越されるようなことがあれば、私は自殺したいと思うほどに恥じ入る。自分が小心者なことが理由で後続車に不快な思いをさせ、わざわざ反対車線を走らせるという不便を強いてしまうのはあまりに申し訳ない。

横を通り抜けて追い越して行く人間は私以上の人生の成功者であり、私のような人生の敗者の後ろをちんたら走っている暇はない。そんな人間は私よりも貴重な人材であり、私よりも賢い。そしておそらくはアソコも私より巨大なはずだ。

先週、速い車に追い越されるとはどういうことなのかを身をもって経験した。私は大排気量のエンジンを搭載したジャガー・F-TYPE V8 Sに乗っていた。この車はどもりつつ「100km/h」と口に出しているうちに100km/hまで達してしまうし、最高速度はおよそ300km/hを記録する。これはとても、とても、とても速い車だ。しかし、乗ったのはイタリアだったので、大半のドライバーが私よりも速かった。

ある夜、ルーフを下げてレストランを出発した。その日のコモ湖の上空は、月の光に負けじと星々が見事に輝き、アルペンの田舎を煌々と照らしていた。私はダイナミックモードに入れ、音を響かせながら夜のイタリアへと繰り出した。

私は壮大な景色の中、最高の道路を走った。しかしすぐに遠くからヘッドライト一対がものすごい速さで迫って来ていることに気付いた。当然、地元の人の邪魔になってしまうのは嫌なので、私はアクセルを踏み込んで加速した。

ジャガーは見事な怒鳴り声を上げた。巨大な5Lのスーパーチャージャー付きV8エンジンはコーナーから抜けるたびに筋肉を収縮させた。しかし無駄だった。この時点でヘッドライトはすぐ後ろまで迫って来ていた。なので私は、常識的な配慮のできる人間として当然のことをした。すなわち、待避所に止まって先に行かせた。

しかしなんと、そのドライバーが乗っていたのは1.25Lのフォード・フィエスタだった。卵型のグリルが付いたヤマハのエンジンを搭載する旧型モデルだ。この車は販売当時も大した車ではなかったし、それから15年以上たった今にしてみればなお大した車ではないはずだ。にもかかわらず、イタリア人の乗るこの車は、ジャガーのハイパワーモデルよりも速かった。

それだけではない。曲がりくねった山道においては、最速のバイクより車のほうが速い。バイクには車ほどのグリップが存在しない…はずなのだが、イタリア人が乗っている場合は例外だ。イタリア人が乗るとどういうわけかグリップが生じるようだ。

私はイタリアをドライブするのが大好きだ。イタリアでは車に乗ろうと環境保護や政治とのいざこざがあるわけではない。それに、イタリアでは車で移動するのが非常に楽しい。イタリア人にとって車は、魂の、人生への情熱の表現手段だ。スピードは危険なものではなく、必要なものだ。

フランスからジェノバまで続く海沿いの高速道路をご存知だろうか。この道にはヘアピンカーブがある。もしイタリア以外にこんな道があれば、きっと制限速度は50km/h程度になるのだろうが、イタリアではこの区間すらほかの区間と制限速度が変わらず、130km/hのままだ。

いや、思うに130km/hというのは最低速度のことなのだろう。オンボロのフィアットに乗った主婦や修道女、農民でさえ150km/h以上で走っていた。コーナーの先が死角となっていて、目と鼻の先が詰まっているかもしれないのにそれだけのスピードを出していた。それは狂気だった。私はそんな狂気がとても気に入った。

これまでに2回、ランボルギーニを運転中にイタリアの警察に止められたことがある。2回とも運転が遅すぎると怒られた。イタリアはそれほどに愛すべき場所だ。先日も同じような扱いを受けた。ダサい服を着たイギリス人がジャガーをトロトロ運転しているのは、イタリア人にとっては鬱陶しくて仕方がない。

しかし、ジャガー・F-TYPEはついつい運転の口実を探したくなるような車だ。なので私は、周りに鬱陶しがられようと一人で楽しむことができた。

F-TYPEは非常に子供っぽい車だ。スポーツエグゾーストモードを選べばこの上なく子供っぽい爆音を発する。シフトアップをすると鼻息を荒げ、アクセルを緩めるとバチバチと音が響く。トンネルがとても楽しかった。

デザインも子供っぽい。子供が冷蔵庫に落書きするお姫様と同列の美しさがこの車にはある。シンプルかつクリーンで、以前にも史上最高レベルのデザインだと言ったが、その意見は今でも変わらない。きっとその理由は、大人になろうとしていないことやドイツ車でないことにあるのだろう。

けれど、子供っぽくない部分もたくさんある。トランスミッションは顕著だ。変速はパドルシフトで行うのだが、サーキットでしか使いものにならない走り屋向けのデュアルクラッチトランスミッションではない。従来的な8速ATが採用されており、これは最高だ。

操作系も大人びている。反応の遅いタッチスクリーンナビは例外だが、それ以外はどれも直感的に操作することができる。何もかもが望んだ場所に配置されており、それどころか、室内照明の色やステアリングの性格を変えることまでできる。

絶世の美少女でありながら、聡明で、料理もでき、1975年式のシトロエン・SMの油圧ポンプを交換することさえできる人がいたとしよう。F-TYPEはそんな車だ。

欠点だってある。私がイギリスでF-TYPEに試乗した際、特に街中での低速域の乗り心地の悪さについて酷評した覚えがある。ただ、イタリアには遅く走る人など存在しないため、こんな問題は浮上しなかった。それから、トランクも非常に狭いし、価格も非常に高い。しかし、V8よりも少し遅いだけのV6 Sを選べば価格は下がる。私ならこちらを選ぶだろう。

しかしどうだろうか。F-TYPEはコンバーチブルだし、エンジンは太古の昔に設計されたものなので、「真面目な車」ではないと言う人もいる。美しいボディの裏側には、現代のポルシェやBMWに敵うだけの先進性がないそうだ。

この指摘は間違っていないのかもしれない。しかしそんなことはどうでもいい。F-TYPEは最高の車だ。


The Clarkson review: Jaguar F-type V8 S (2013)