イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「Top Gear」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2011年に書かれたマクラーレン・MP4-12Cのレビューです。


Clarkson on MP4-12C

フェラーリ・458は素晴らしい車だ。確かに、ボタンだらけのステアリングは馬鹿げているし、ドライバーは速度計かナビか、見るものを一つ選択しなければならず、正気の沙汰とは思えない。しかし、インテリアの異常さに目をつぶり、アクセルを踏み込めば、他のどんな車とも違った世界を見ることができる。この車は他の車よりも優れている。活き活きとしている。絶対的に、圧倒的に、最高の車だ。

MP4-12Cが458を超えられようか、とジェームズ・メイが疑問に思ったのも当然のことだ。水を燃料として走り、0-100万km/h加速を1秒でこなしでもしない限り、そんなことは不可能に思えた。

しかし、マクラーレンいわく、科学的にMP4-12Cの方が優れていることを証明できるそうだ。MP4-12Cは数学を味方につけているそうだ。実際の数字を見てみても、価格はフェラーリよりも安く、パワーでは優れている。それも相当の差をつけて。

それだけではない。マクラーレンのほうが居心地が良く、実用性も高い。フェラーリ・458の方向指示器ボタンはステアリングにあり、コーナリング中に左にウインカーを出そうとすると、後続車は右に曲がると思い込んでしまう。それに、夜間にウインカーを出そうとすると、ギアが変わり、同時にライトが消えてしまう。

そんな狂気はマクラーレンにはない。ステアリングはあくまでもステアリングだ。それに、ステアリング径はハミルトンやバトンが乗っていたマシンと全く同じだ。

まだ終わらない。フェラーリは派手派手しいカーボンファイバーで飾られているが、マクラーレンはオールレザーで、シンプルなステッチが施されており、より明瞭ですっきりしている。

また、マクラーレンは乗り心地の良さについても強調していた。MP4-12Cにはスタビライザーが付いておらず、各輪のサスペンションが完全に独立しているそうだ。そして、それを制御するコンピューター(そんなものを設計した人間とは食事したくない)が衝撃を吸収し、車内からはほとんど衝撃が感じられなくなるそうだ。

マクラーレンのやり方は的を射ている。Top Gearテストトラックの最終左コーナーでは、よくタイヤが舗装路を外れて芝生に乗り上げてしまう。その際、大抵の車では、まるで液体窒素に浸された後にハンマーで叩かれたかのごとく、ドライバーの骨が粉砕されてしまう。しかし、マクラーレンだと、まるでコースアウトなど全くしていないかのように感じられた。

しかし、そもそもコースアウトすることもなかなかない。マクラーレンの視界はフェラーリよりも優れている。別に458の視界が郵便ポスト並というわけではないのだが、MP4-12Cはフロントガラスが広くてボンネットも見やすいため、どこを走っているのか正確に知ることができる。

もちろん読者の声は聞こえている。そんなことより速さを知りたいのだろう。

MP4-12Cは速い。神聖なほどに速い。トラックモードにすると電子制御の介入が最低限となり、飛ぶように走る。直線でも、コーナーでも、458より速いと認めざるを得ない。それに、オプションのセラミックブレーキや大型リアウイングのおかげで、おそらくは制動力も優れている。

ターボのおかげで常に力強い。458がカワセミだとしたら、MP4-12Cはカツオドリだ。

しかし、トランスミッションはあまり優秀ではない。458では軽くパドルを引くだけで変速できるのだが、MP4-12Cではパドルシフトの構造がF1と同じようになっている。つまり、パドルを軽く引くとデュアルクラッチトランスミッションに信号が伝わり、すぐに変速できるように準備が始まる。さらにパドルを強く引くと、実際に変速が開始される。

これは優れたシステムに思えるかもしれないが、実際のところ、変速する際には予想以上に力を加えなければならない。私は基本的に適当なので、パドルを軽く引いても続けて変速をしないということもよくあった。

ただ、トラクションコントロールはかなり優秀だ。無理やり介入するのではなく、ドライバーをお茶でもてなし、やりすぎですよと優しく諭してくれる。

要するに、科学的数学的観点から見ると、確かにMP4-12Cはライバルよりも優れているように思える。

しかし、科学や数学は速さの追求という面では重要だが、そこに感情が伴っていなければ意味はない。そしてその点で、マクラーレンにはあまり魅力がない。

デザインを見て欲しい。確かに均衡は取れているし、スーパーカーらしくはあるのだが、光るものはあるだろうか。人間らしさはどこにあるだろうか。この車はあまりにも科学的過ぎる。ソフトウェアがデザインしてシミュレーターが仕上げをしたように見えてしまう。あるいはそれが事実なのかもしれない。

音もそうだ。フェラーリは延々と叫び続け、その音には心躍るものがある。しかし、MP4-12Cの音はトラックモード時の最大音量でもぞくぞくすることはない。

走りにも似たような問題がある。458はより機敏で、より器用で、よりすばしっこく感じられる。実際は違うのだろうが、そのように感じられる。要するに、理由は知りようがないが、マクラーレンは458ほどに楽しくはない。

私のペニスを熱り立たせるような車は存在しないが、もしそんな車があるとしたら、それはきっと458のような車だろう。

もちろん、マクラーレンが毎日使える車であることに異論はない。乗り心地は素晴らしいし、エンジン音はモードを変えて抑えることもできるし、インテリアは圧倒的に居心地が良い。しかし、こんな車を毎日使う道理があるだろうか。

こう表現してみよう。フェラーリはストッキングで、マクラーレンはタイツだ。科学的にも数学的にも実際的にも、マクラーレンのほうが優れている。しかしどうしてか、458の魅力には敵わない。


Clarkson on the MP4-12C