イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿したレビュー記事を日本語で紹介します。
今回紹介するのは、2002年に書かれたブリストル・ブレニム3Gのレビューです。

困った。もう原稿の締め切りが迫っている。困ったことに今週は何も運転していない。厳密に言えば運転はしたのだが、読者が興味を持つような車は運転していない。
新型トヨタ・ランドクルーザーには乗ったのだが、この話題で原稿を埋めることはできない。いや、まともな文章を作ることすらできない。一言で済んでしまう。これは母親のための車だ。
ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーに選出されたルノー・メガーヌにも乗った。これは自動車業界で最も有名な賞のはずだ。50人の審査員は飲み放題のシャンパンを飲み過ぎて合理的な判断をできなくなってしまったのだろうか。この賞の選出車にはろくなものがない。ルノー・9もそうだし、雨が降るたびに動かなくなったローバー・SD1もそうだ。タルボ・ホライズンやタルボ・アルパインやシトロエン・XMを選出した時にはどれほど酔い潰れていたのだろうか。
しかし、メガーヌを選ぶのはそれ以上に問題がある。メガーヌをマツダ・6(日本名: アテンザ)などを差し置いてカー・オブ・ザ・イヤーに選ぶのは、『プライベート・ライアン』を差し置いて『ポリスアカデミー7』にオスカー賞を与えるようなものだ。これはうまい例えだと思う。マツダはまさに『プライベート・ライアン』だ。どちらも製作者にとっての代表作だ。一方、メガーヌはまさに『ポリスアカデミー7』だ。どちらも一見華やかだが中身はない。
巨大なリアエンドが好きかどうかは好き好きだろう。好きならそれで構わない。嫌いなら、フォード・フォーカスやフォルクスワーゲン・ゴルフや、それに類するどんな車を買っても構わない。ただし、昨年のカー・オブ・ザ・イヤー受賞車であるプジョー・307だけは例外だ。メガーヌに関してももう書くことがなくなってしまった。
なので、今週どころか今までに一度として運転したことのない車について書こう。ブリストル・ブレニム3Gについてだ。
私は実際に乗ってみようとは思った。しかし、車を私の所に持ってきた担当者にキー求めたところ、見るだけにしてくれと却下されてしまった。見るだけならインターネットでもできる。
「申し訳ありませんが、トップの意向ですから。」
ブリストルのトップ…すなわち、かの有名なトニー・クルックだ。
ブリストルの航空機部門が政府主導でブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーションと統合された際、ブリストルの自動車部門を救ったのが彼だ。また、彼は1950年代、モーターショーにおいて、フレイザー・ナッシュやロールス・ロイスなどのライバル企業の展示をアラブ人のような恰好をして偵察した。
「とても楽しかったです。ロールス・ロイスに5台か6台車を注文して、その日のうちにフレイザー・ナッシュのブースに展示されている車を全て買い取ろうとしたこともあります。本気であることを示すため、札束の詰まったスーツケースまで用意しました。ただ、本物のお金ではないですけどね。大量のトイレットペーパーに本物を少しだけ紛れさせたんです。でもばっちり騙されてくれました。」
ただ、ロールスは見抜いていた。というのも、彼は1940年代のロンドンモーターショーから同じようなことを繰り返していたからだ。ただの悪戯心で。
彼は素晴らしい人で、私も大好きなのだが、彼はもはや過去の人間だし、彼の作る車も同様に過去の車だ。ブリストルの車は1990年代初頭に1度運転しただけなのだが、私が窓を指差して「パワーウインドウは付いていないんですね」と言った時の彼の顔は今でも忘れられない。
彼は目を針で突かれたような顔をして言った。
「いやいや、いらないでしょう。人間には腕があるんだから。」
彼は今でも変わっていない。先週、彼と会って来年発売予定の新型車、ファイターについて、モノコックなどの現代的な構造なのかどうかという質問をしたのだが、彼は逆に聞き返してきた。
「そんな構造にすると思う? 確かに検討はしたけど、モノコックの意義なんて見つけられなかったよ。だからセパレートシャシにしたさ。こいつは今でもいいものだ。」
車に関する質問は大抵こんな感じで返されてしまう。ブレニムSと普通のブレニムの違いについて尋ねた時もそうだった。
「Sはスポーティーな方だよ。カムシャフトが違うのと、標準よりハードになってる。そんなところ。」
ではブレニム3Gは何が違うのだろうか。
「ガソリンで走る。」
では、まともに走るのだろうか。クルックの意向でキーは担当者のポケットの中で厳重に保管されているため、知りようがない。しかし、車内に乗ることはなんとか許してもらった。そこに待ち受けていた光景は信じられないものだった。

この車はまるで私が作ったようだった。これ以上にこの車の酷さを表現するうまい言葉は見つからない。この車は非常に出来が悪い。出来が悪いという次元を超えている。グローブボックス開閉用の取っ手はもはや取っ手とは言えない。1940年代の電話の受話器のコードを不器用な人間が適当にネジで留めたかのようだった。ネジはまっすぐではなかった。そもそもネジの種類が場所によって違っていた。ネジは傷だらけだったし、頭まで飛び出していた。本職の人間の仕事とは到底思えなかった。
お分かりの通り、トヨタ・ランドクルーザーという車全体よりも、ブリストルのグローブボックスについての方が書くことはたくさんある。それに書くことはまだまだある。
スイッチ類も凄い。祖父の代の巨大な木製蓄音機のスイッチのような見た目だし、配置はまるで福笑いの要領で決められたかのようだ。あるいは、パチンコでスイッチを飛ばしてどこに配置するか決めたのかもしれない。
ライトのスイッチの場所を担当者に尋ねたのだが、帰ってきた言葉は「分かりませんが、どこかにはあるでしょう」だった。結局、見つけることはできなかった。ただ、助手席の足元やサンバイザーの裏は探し忘れた。
リアウインドウヒーターのスイッチも見つけられなかったのだが、ガラスをよく見てみればそもそもヒーターなど付いていなかった。しかしそれくらいでは驚かなかった。また、エアバッグも、ナビも、シートヒーターも、それどころか何も付いていなかった。公式サイトを見ると窓の透明度について誇らしげに書かれていた。確かにヒーターがない分、見やすいのかもしれない。
つまり、装備内容や精密さを理由にブリストルを購入する人は存在しないということだ。フロントエアスプリッターを見てみたのだが、馬が取り付けたとしか思えなかった。
シャーロック・ホームズの言葉に「可能性がないものをすべて除外したら、いかに可能性がなさそうでも、残ったものが真実だ」というものがある。少なくとも、フロントエアスプリッターを取り付けたのが人間である可能性は除外できる。
搭載されるエンジンは5.9L V8で、これはクライスラーがデトロイトでブリストルのためだけに製造している。このエンジンはエコでもないし、パワフルでもないし、経済的でもないし、現代的でもないし、静かでもないし…これ以上続けるつもりはない。
シャシはベン・ハーのチャリオットと変わらない。デザインは…やはり私がしたようにしか思えない。145,000ポンドという価格設定は、可能な限り贔屓目な言葉を使っても、望みが高いとしか表現できない。
ブリストルの顧客にはリチャード・ブランソンやリアム・ギャラガー、ジェレミー・キング(ロンドンの高級レストラン、アイヴィーの元オーナー)などが名を連ねている。ブリストルの年間販売台数は150台だそうだが、どうしてそんなに売れているのか理解に苦しむ。
どこに魅力があるのだろうか。私は何かを見落としたのだろうか。ベントレー・アルナージTでもなく、アストンマーティン・ヴァンキッシュでもなく、レンジローバーでもなく、ミニでもなく、あえてブリストルを選ぶ理由がわからない。キア・セドナやトヨタ・プリウスを買ったほうがまだましだ。
もう一度映画の例えをすると、ブリストルはマーロン・ブランドだ。賞味期限も過ぎ、太り始め、もう尿漏れするような歳になってしまった。それでも人々の心には深く刻み込まれ、いまだに格好良いと見なされている。
ブリストルを買う理由は一つしかない。自分の乗っている車が「ブリストル」だと自慢できるからだ。
Bristol Blenheim 3G
今回紹介するのは、2002年に書かれたブリストル・ブレニム3Gのレビューです。

困った。もう原稿の締め切りが迫っている。困ったことに今週は何も運転していない。厳密に言えば運転はしたのだが、読者が興味を持つような車は運転していない。
新型トヨタ・ランドクルーザーには乗ったのだが、この話題で原稿を埋めることはできない。いや、まともな文章を作ることすらできない。一言で済んでしまう。これは母親のための車だ。
ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーに選出されたルノー・メガーヌにも乗った。これは自動車業界で最も有名な賞のはずだ。50人の審査員は飲み放題のシャンパンを飲み過ぎて合理的な判断をできなくなってしまったのだろうか。この賞の選出車にはろくなものがない。ルノー・9もそうだし、雨が降るたびに動かなくなったローバー・SD1もそうだ。タルボ・ホライズンやタルボ・アルパインやシトロエン・XMを選出した時にはどれほど酔い潰れていたのだろうか。
しかし、メガーヌを選ぶのはそれ以上に問題がある。メガーヌをマツダ・6(日本名: アテンザ)などを差し置いてカー・オブ・ザ・イヤーに選ぶのは、『プライベート・ライアン』を差し置いて『ポリスアカデミー7』にオスカー賞を与えるようなものだ。これはうまい例えだと思う。マツダはまさに『プライベート・ライアン』だ。どちらも製作者にとっての代表作だ。一方、メガーヌはまさに『ポリスアカデミー7』だ。どちらも一見華やかだが中身はない。
巨大なリアエンドが好きかどうかは好き好きだろう。好きならそれで構わない。嫌いなら、フォード・フォーカスやフォルクスワーゲン・ゴルフや、それに類するどんな車を買っても構わない。ただし、昨年のカー・オブ・ザ・イヤー受賞車であるプジョー・307だけは例外だ。メガーヌに関してももう書くことがなくなってしまった。
なので、今週どころか今までに一度として運転したことのない車について書こう。ブリストル・ブレニム3Gについてだ。
私は実際に乗ってみようとは思った。しかし、車を私の所に持ってきた担当者にキー求めたところ、見るだけにしてくれと却下されてしまった。見るだけならインターネットでもできる。
「申し訳ありませんが、トップの意向ですから。」
ブリストルのトップ…すなわち、かの有名なトニー・クルックだ。
ブリストルの航空機部門が政府主導でブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーションと統合された際、ブリストルの自動車部門を救ったのが彼だ。また、彼は1950年代、モーターショーにおいて、フレイザー・ナッシュやロールス・ロイスなどのライバル企業の展示をアラブ人のような恰好をして偵察した。
「とても楽しかったです。ロールス・ロイスに5台か6台車を注文して、その日のうちにフレイザー・ナッシュのブースに展示されている車を全て買い取ろうとしたこともあります。本気であることを示すため、札束の詰まったスーツケースまで用意しました。ただ、本物のお金ではないですけどね。大量のトイレットペーパーに本物を少しだけ紛れさせたんです。でもばっちり騙されてくれました。」
ただ、ロールスは見抜いていた。というのも、彼は1940年代のロンドンモーターショーから同じようなことを繰り返していたからだ。ただの悪戯心で。
彼は素晴らしい人で、私も大好きなのだが、彼はもはや過去の人間だし、彼の作る車も同様に過去の車だ。ブリストルの車は1990年代初頭に1度運転しただけなのだが、私が窓を指差して「パワーウインドウは付いていないんですね」と言った時の彼の顔は今でも忘れられない。
彼は目を針で突かれたような顔をして言った。
「いやいや、いらないでしょう。人間には腕があるんだから。」
彼は今でも変わっていない。先週、彼と会って来年発売予定の新型車、ファイターについて、モノコックなどの現代的な構造なのかどうかという質問をしたのだが、彼は逆に聞き返してきた。
「そんな構造にすると思う? 確かに検討はしたけど、モノコックの意義なんて見つけられなかったよ。だからセパレートシャシにしたさ。こいつは今でもいいものだ。」
車に関する質問は大抵こんな感じで返されてしまう。ブレニムSと普通のブレニムの違いについて尋ねた時もそうだった。
「Sはスポーティーな方だよ。カムシャフトが違うのと、標準よりハードになってる。そんなところ。」
ではブレニム3Gは何が違うのだろうか。
「ガソリンで走る。」
では、まともに走るのだろうか。クルックの意向でキーは担当者のポケットの中で厳重に保管されているため、知りようがない。しかし、車内に乗ることはなんとか許してもらった。そこに待ち受けていた光景は信じられないものだった。

この車はまるで私が作ったようだった。これ以上にこの車の酷さを表現するうまい言葉は見つからない。この車は非常に出来が悪い。出来が悪いという次元を超えている。グローブボックス開閉用の取っ手はもはや取っ手とは言えない。1940年代の電話の受話器のコードを不器用な人間が適当にネジで留めたかのようだった。ネジはまっすぐではなかった。そもそもネジの種類が場所によって違っていた。ネジは傷だらけだったし、頭まで飛び出していた。本職の人間の仕事とは到底思えなかった。
お分かりの通り、トヨタ・ランドクルーザーという車全体よりも、ブリストルのグローブボックスについての方が書くことはたくさんある。それに書くことはまだまだある。
スイッチ類も凄い。祖父の代の巨大な木製蓄音機のスイッチのような見た目だし、配置はまるで福笑いの要領で決められたかのようだ。あるいは、パチンコでスイッチを飛ばしてどこに配置するか決めたのかもしれない。
ライトのスイッチの場所を担当者に尋ねたのだが、帰ってきた言葉は「分かりませんが、どこかにはあるでしょう」だった。結局、見つけることはできなかった。ただ、助手席の足元やサンバイザーの裏は探し忘れた。
リアウインドウヒーターのスイッチも見つけられなかったのだが、ガラスをよく見てみればそもそもヒーターなど付いていなかった。しかしそれくらいでは驚かなかった。また、エアバッグも、ナビも、シートヒーターも、それどころか何も付いていなかった。公式サイトを見ると窓の透明度について誇らしげに書かれていた。確かにヒーターがない分、見やすいのかもしれない。
つまり、装備内容や精密さを理由にブリストルを購入する人は存在しないということだ。フロントエアスプリッターを見てみたのだが、馬が取り付けたとしか思えなかった。
シャーロック・ホームズの言葉に「可能性がないものをすべて除外したら、いかに可能性がなさそうでも、残ったものが真実だ」というものがある。少なくとも、フロントエアスプリッターを取り付けたのが人間である可能性は除外できる。
搭載されるエンジンは5.9L V8で、これはクライスラーがデトロイトでブリストルのためだけに製造している。このエンジンはエコでもないし、パワフルでもないし、経済的でもないし、現代的でもないし、静かでもないし…これ以上続けるつもりはない。
シャシはベン・ハーのチャリオットと変わらない。デザインは…やはり私がしたようにしか思えない。145,000ポンドという価格設定は、可能な限り贔屓目な言葉を使っても、望みが高いとしか表現できない。
ブリストルの顧客にはリチャード・ブランソンやリアム・ギャラガー、ジェレミー・キング(ロンドンの高級レストラン、アイヴィーの元オーナー)などが名を連ねている。ブリストルの年間販売台数は150台だそうだが、どうしてそんなに売れているのか理解に苦しむ。
どこに魅力があるのだろうか。私は何かを見落としたのだろうか。ベントレー・アルナージTでもなく、アストンマーティン・ヴァンキッシュでもなく、レンジローバーでもなく、ミニでもなく、あえてブリストルを選ぶ理由がわからない。キア・セドナやトヨタ・プリウスを買ったほうがまだましだ。
もう一度映画の例えをすると、ブリストルはマーロン・ブランドだ。賞味期限も過ぎ、太り始め、もう尿漏れするような歳になってしまった。それでも人々の心には深く刻み込まれ、いまだに格好良いと見なされている。
ブリストルを買う理由は一つしかない。自分の乗っている車が「ブリストル」だと自慢できるからだ。
Bristol Blenheim 3G
またアテンザ現行モデルのジェレミー・クラークソンによるレビュー記事があれば、リクエストさせていただきたく思います。
いつぞやかのTopGearでは、
赤いアテンザ(前のモデル)に対しジェレミーが
「この車にフェラーリのエンブレムがついていれば倍は売れている」と評していたことを覚えています。