今回は、イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿したフォルクスワーゲンのディーゼル不正問題をテーマとしたコラム記事を日本語で紹介します。
フォルクスワーゲンはアメリカで悪事を暴かれ、今後、フォルクスワーゲンは罰金と訴訟、売上の低下の三重苦にあえぐことになることだろう。
もしフォルクスワーゲンが倒産すれば、影響は莫大なものになるはずだ。傘下のアウディ、ブガッティ、ベントレー、ランボルギーニ、ポルシェ、セアト、シュコダも同様に窮地に立たされることだろう。もはや、ドイツはギリシャやシリアを上から救済する立場ではなくなる。あるいは、世界的な大恐慌を引き起こすかもしれない。
フォルクスワーゲンは今後、社会の除け者になることだろう。ワイパーの付いたロバート・マクスウェルに、納税証明書の付いた北朝鮮になることだろう。しかし、果たして、フォルクスワーゲンのしたことはそれほどの悪事なのだろうか。
そもそもの始まりは、エコ狂信者が地球を救うためにディーゼル車を購入しようと呼びかけたことにある。ところが、欧州人の過半数がディーゼル車を購入するようになると突然宗旨替えをしてこう叫んだ。
「駄目だ。ディーゼル車は危険だ。こいつは窒素と酸素を結合してNOxを生み出してしまう。NOxはすぐさま赤ん坊や子犬を殺すぞ。」
当然、世界中の頭の足りない政府は彼らの意味不明な主張を受け入れ、自動車のNOx排出量の上限値を規定した。
この結果、自動車メーカーは多額の投資を行って新しいディーゼルエンジンの開発を行わなければならなくなってしまった。これは軽油と濃縮した尿を混合するシステムだ。しかし、フォルクスワーゲンはさらに先を行き、試験時に環境性能を誇張することのできる頭の良いソフトウェアをエンジンに組み込んだ。
これは大変な悪事に思えるかもしれないが、これで苦しむのは果たして誰なのだろうか。フォルクスワーゲンの顧客だろうか。そんなことはない。こうして設計された車は、規制に適合するように設計された車よりも走りは良いはずだ。エンジンを動かすために尿を補給する必要性もない。
では、赤ん坊や子犬が苦しむのだろうか。グリーンピースお抱えの数学者の計算によると、フォルクスワーゲンの不正によって1,700人もの人々が死ぬそうだ。しかし、それはおかしい。そもそも、NOxの総排出量のうちの60%は自動車とは無関係だし、残りの40%のうちの大半はトラックやバスが排出している。巨視的に見れば、近所を走っているゴルフディーゼルが何らかの差を生み出すわけではない。
要するに、フォルクスワーゲンは官僚が確たる根拠もなく設定した基準値を無視したということだ。ここで話しているのは、サリドマイドやボパールのことではない。誰もがやっているような、ちょっとしたずるだ。ちょっと店に寄るために少しだけ駐車違反をしてみたり。履歴書にちょっとした嘘を書いたり。スピード違反をしたり。親の目を逃れて夜遊びに出掛けたり…。
ジャーナリストになるための速記試験では110単語/分をクリアしないと合格できなかったのだが、私はこの試験でスロー再生機能付きのテープレコーダーを用いた。1970年代の私の髪型はイヤホンを隠すのにぴったりだった。
個人の話には留まらない。数年前、ヨーロッパの大手自動車メーカーはずるをした。何十億ポンドもかけ新型車を開発したのだが、EUの騒音試験を通過できる見込みはなかった。なので、ある賢しい計画を実行した。
試験の際には特定の速度で走ることが求められるため、試験時にメーカーの人間はその速度まで出し、測定器を持った試験官が近づいてくるとニュートラルに入れて惰性走行を行った。車は試験に合格し、実際に発売された。私もその車を購入した。
他にもある。イタリアのある自動車メーカーは排気管に弁を付け、試験中にはそれが閉まるようにしておき、現実の走行時にはそれが開くように細工をした。
しかし結局のところ、誰がそんなことを気にするのだろうか。誰にとってもそれは生きるか死ぬかの問題ではない。所詮はくだらないゲームでしかない。
当然、エコ狂信者は反論することだろう。フォルクスワーゲンを購入した人達はNOxの排出量の数字を見て車を購入したはずだと語ることだろう。そんなはずはない。私は今年の夏にフォルクスワーゲンを購入したが、その肛門から出てくるものになど欠片も興味はない。私が気にしているのは、安全性、コストパフォーマンス、走行性能、品質だけだ。テールパイプからどれほどの窒素が出ているかなど、地球の大半の人間と同様に全く気にしていない。
無害な不正行為のせいでフォルクスワーゲンが窮地に立たされることなど私は望んでいない。しかし、残された経営陣の対応によっては、フォルクスワーゲンが危機に瀕することもありうる。
かつて、フォルクスワーゲンは素晴らしい広報活動を行った。ヒトラーが創業し、ナチスが運営していたという事実を世界中から忘れ去らせることに成功した。今一度、フォルクスワーゲンは同じことをする必要がある。そうして、名誉を回復しなければならない。
フォルクスワーゲンに言いたいことがある。一連の事件はジョークとして流すことのできるものだ。なので、まだ傷が浅いうちに自虐的なCMでも流してしまったほうがいい。
Remember that CV you ‘adapted’? So stop tutting and chuckle at VW instead
フォルクスワーゲンはアメリカで悪事を暴かれ、今後、フォルクスワーゲンは罰金と訴訟、売上の低下の三重苦にあえぐことになることだろう。
もしフォルクスワーゲンが倒産すれば、影響は莫大なものになるはずだ。傘下のアウディ、ブガッティ、ベントレー、ランボルギーニ、ポルシェ、セアト、シュコダも同様に窮地に立たされることだろう。もはや、ドイツはギリシャやシリアを上から救済する立場ではなくなる。あるいは、世界的な大恐慌を引き起こすかもしれない。
フォルクスワーゲンは今後、社会の除け者になることだろう。ワイパーの付いたロバート・マクスウェルに、納税証明書の付いた北朝鮮になることだろう。しかし、果たして、フォルクスワーゲンのしたことはそれほどの悪事なのだろうか。
そもそもの始まりは、エコ狂信者が地球を救うためにディーゼル車を購入しようと呼びかけたことにある。ところが、欧州人の過半数がディーゼル車を購入するようになると突然宗旨替えをしてこう叫んだ。
「駄目だ。ディーゼル車は危険だ。こいつは窒素と酸素を結合してNOxを生み出してしまう。NOxはすぐさま赤ん坊や子犬を殺すぞ。」
当然、世界中の頭の足りない政府は彼らの意味不明な主張を受け入れ、自動車のNOx排出量の上限値を規定した。
この結果、自動車メーカーは多額の投資を行って新しいディーゼルエンジンの開発を行わなければならなくなってしまった。これは軽油と濃縮した尿を混合するシステムだ。しかし、フォルクスワーゲンはさらに先を行き、試験時に環境性能を誇張することのできる頭の良いソフトウェアをエンジンに組み込んだ。
これは大変な悪事に思えるかもしれないが、これで苦しむのは果たして誰なのだろうか。フォルクスワーゲンの顧客だろうか。そんなことはない。こうして設計された車は、規制に適合するように設計された車よりも走りは良いはずだ。エンジンを動かすために尿を補給する必要性もない。
では、赤ん坊や子犬が苦しむのだろうか。グリーンピースお抱えの数学者の計算によると、フォルクスワーゲンの不正によって1,700人もの人々が死ぬそうだ。しかし、それはおかしい。そもそも、NOxの総排出量のうちの60%は自動車とは無関係だし、残りの40%のうちの大半はトラックやバスが排出している。巨視的に見れば、近所を走っているゴルフディーゼルが何らかの差を生み出すわけではない。
要するに、フォルクスワーゲンは官僚が確たる根拠もなく設定した基準値を無視したということだ。ここで話しているのは、サリドマイドやボパールのことではない。誰もがやっているような、ちょっとしたずるだ。ちょっと店に寄るために少しだけ駐車違反をしてみたり。履歴書にちょっとした嘘を書いたり。スピード違反をしたり。親の目を逃れて夜遊びに出掛けたり…。
ジャーナリストになるための速記試験では110単語/分をクリアしないと合格できなかったのだが、私はこの試験でスロー再生機能付きのテープレコーダーを用いた。1970年代の私の髪型はイヤホンを隠すのにぴったりだった。
個人の話には留まらない。数年前、ヨーロッパの大手自動車メーカーはずるをした。何十億ポンドもかけ新型車を開発したのだが、EUの騒音試験を通過できる見込みはなかった。なので、ある賢しい計画を実行した。
試験の際には特定の速度で走ることが求められるため、試験時にメーカーの人間はその速度まで出し、測定器を持った試験官が近づいてくるとニュートラルに入れて惰性走行を行った。車は試験に合格し、実際に発売された。私もその車を購入した。
他にもある。イタリアのある自動車メーカーは排気管に弁を付け、試験中にはそれが閉まるようにしておき、現実の走行時にはそれが開くように細工をした。
しかし結局のところ、誰がそんなことを気にするのだろうか。誰にとってもそれは生きるか死ぬかの問題ではない。所詮はくだらないゲームでしかない。
当然、エコ狂信者は反論することだろう。フォルクスワーゲンを購入した人達はNOxの排出量の数字を見て車を購入したはずだと語ることだろう。そんなはずはない。私は今年の夏にフォルクスワーゲンを購入したが、その肛門から出てくるものになど欠片も興味はない。私が気にしているのは、安全性、コストパフォーマンス、走行性能、品質だけだ。テールパイプからどれほどの窒素が出ているかなど、地球の大半の人間と同様に全く気にしていない。
無害な不正行為のせいでフォルクスワーゲンが窮地に立たされることなど私は望んでいない。しかし、残された経営陣の対応によっては、フォルクスワーゲンが危機に瀕することもありうる。
かつて、フォルクスワーゲンは素晴らしい広報活動を行った。ヒトラーが創業し、ナチスが運営していたという事実を世界中から忘れ去らせることに成功した。今一度、フォルクスワーゲンは同じことをする必要がある。そうして、名誉を回復しなければならない。
フォルクスワーゲンに言いたいことがある。一連の事件はジョークとして流すことのできるものだ。なので、まだ傷が浅いうちに自虐的なCMでも流してしまったほうがいい。
Remember that CV you ‘adapted’? So stop tutting and chuckle at VW instead