イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、2010年に書かれたロールス・ロイス ゴーストのレビューです。

なんだかんだで、人類は車の運転が得意だ。運転がうまい人類はたくさんいる。ラウンドアバウト。高速道路の合流。立体駐車場の入り口。そんな場所を、電話をしながらでも、サンドイッチを食べながらでも、女性とのセックスについて考えながらでも運転することができる。しかし残念ながら、絶望的なほどに運転が下手な人類も同じくらいたくさんいる。
今日の午後、フォッセ・ウェイを走行中、前を走っていたBMW(プジョーではない)はラウンドアバウトに入るたびに一時停止し、停止後一定時間が経過すると、周りの車の流れがどうであろうと、そうプログラムされているかのように走り出した。
昨日はM25を走行中、キア・ピカントに追い越されたのだが、少なくとも150km/hは出ていた。こんな出来の悪い車で安全に走行できるのはせいぜい10km/hがいいところだろう。それを140km/hも上回っていた。しかも、たびたび車線を外れて不安定に走行しており、ひょっとしたら自殺志願者なのではないかとさえ思った。私なら、子供を人質に取られて脅されても、こんな酷い車であんな運転をするつもりはない。
しかし、私が一番恐れているのはスピード狂ではない。むしろのろまが危ない。後ろの車列がプリマスまでずっと続いていることにも全く気づかず、自分だけのクラシックFMとスリッパの世界に浸っているような人達だ。
好戦的なのろまもいる。自分が最悪の人生を送っているから、他の人間も同じように最悪の人生を送らなければならないと考えているような人達だ。そのため、普段はゆっくり走っていても、後ろの車が抜かそうとすると突然スピードを上げる。自分を追い越すような人間は正面衝突を起こしてしまえと思っているのだ。そんな人達にとって、運転免許証が綺麗なことはズボンが綺麗なことよりもよっぽど重要だ。
こんな人達に対抗するためには、最低でも500馬力以上の車を買えばいい。私はずっとそう言ってきた。そんな車、例えばアストンマーティン・DBSに乗っていれば、のろまの後ろに連なる長い電車を一気に抜き去ることができる。シフトダウンしてアクセルを踏み込むだけで、次の曲がり角に突入してしまうずっと前に、大型トラック1台、小型トラック1台、トラクター2台、プジョー6台を抜いてしまうことができる。
そして次の直線では、憎むべきヒュンダイ乗りを余裕を持って追い越すことができる。ヒュンダイがどれほど頑張って加速して追い越しをさせまいとしても、韓国製の安物ではアストンの栄誉あるV12に敵うはずがない。ただ追い越すだけでなく、憎きヒュンダイを垣根に突っ込ませることまでできる。
別の解決策はさらにお金がかかってしまう。ロールス・ロイス ファントムを買うことだ。ジャスミンの香りが漂う静かな夏の日に、お風呂でうたた寝をするような気分になれる車だ。あまりに居心地が良く、車から出たくないとすら思うので、ヒュンダイが遅く走るほど嬉しくなってしまうことだろう。
ファントムは圧倒的な偉業だ。車を運転しているという感覚すら存在しない。わずかにBMWのコンポーネンツを使用しつつもほとんどゼロから設計され、魔法の絨毯と、ホバークラフトと、マイアミの南ビーチの要素を内包する、技術が生み出した最高傑作だ。レザー、エンジンが生み出す無音、クラフトマンシップ。そのどれもが完璧だ。それ以外の言葉では言い表せない。
なので、今回の主題となる車を作るためにかなりの悶着があったことは想像に難くない。いわゆるベイビー・ロールス、それがゴーストだ。何があったのかはご存知のことだろう。ロールス・ロイスは、財布の紐を握っているご主人様であるBMWから、ファントムと同じような、それでいて小さくて安価な車を作れと命じられた。それだけ聞くと良い車ができそうな気もするのだが、「小さくて安価」という言葉を翻訳すると「改悪」にしかならない。
ほぼ独自設計のファントムとは違い、ゴーストはBMW 7シリーズをベースとしている。これは大きな汚点だ。触れる部分はどこもBMW 7シリーズとは全く違う。しかし、それでも事実は事実だ。大量殺人鬼の娘と結婚するようなものだ。完全無欠の美女だったとしても、彼女のDNAに人殺しの要素が含まれているという事実はどうしようもない。
なので、私は大きな偏見を持ったままゴーストに乗り込んだ。こんな車を気に入るなどとは全く思っていなかった。そしてすぐ、予期していた最悪の事態に陥った。カーペットはミニやインドのレストランのカーペットと大差ないものだった。ロールス・ロイスには分厚い羊毛の敷物がなくてはならない。それこそがロールスと他の車を分断するものだ。
それに、ステアリングも同じだ。ロールスのステアリングは鉛筆よりも太くてはならない。ところが、ゴーストのステアリングはロン・ジェレミーのアレよりも太い。おかげでスポーティーに感じる。しかしそれは間違っている。ヘッドアップディスプレイもそうだ。これは乗用車であって、F-15ではない。
エンジンは、眠りから覚めてあくびをする人間のように立ち上がる。しかしすぐにまた静かになる。これは素晴らしい。そして、ギアをドライブに入れると(ちなみにこれ以外にはリバースしかない)進み出す。羊毛がないにもかかわらず、ベイビー・ロールスの走りには文句の付けようがなかった。とても快適で、今まで運転した中でも最も乗り心地の良い車と言ってもいいくらいだし、雪の降り積もった森と同じくらいに静かだ。"ゴースト"とはまさにこの車をうまく表している。
だからといって遅いわけでもない。邪魔なプジョーをみかけても、本来なら羊毛があるべき場所に足を踏み込めば、ゴーストが非常に速い車であることが分かるだろう。フクロウのごとく、静かに速い。それに、マシュマロのような乗り心地であるにもかかわらず、操作性まで良い。
では、この車に問題点はあるだろうか。運転席の窓を開け、煙草の煙を車外に逃そうとすると、巨大なドアミラーのせいで気流が自分の方に向かってくるため、灰が鼻に当たってしまう。ひょっとしたら、開発陣が職場での喫煙を禁止されていたためにこの問題点に気付けなかったのかもしれない。その結果、この車はマールボロ愛好家には向かない車となってしまった。
それに、あまりに作りが良すぎるため、室内では携帯電話の電波が一切繋がらない。このため、娘は怒り心頭に発してしまった。娘は7分間も携帯電話を使わずに我慢しなければならなかった。
それでもゴーストは素晴らしい車だ。室内は広いし、見た目も良いし、仕立ても美しい。普通、車のインテリアにあるものを家に据え付けたいなどとは思わないのだが、ゴーストの照明と時計なら是非とも家に欲しい。照明も時計も美しく、計器類はまるで宝石のようだ。メルセデスやアウディやジャガーのどんな車のインテリアよりも圧倒的に良い。なので、余分にお金を払うだけの価値はちゃんとある。
しかし…。羞恥心というものがある人間なら、ロールス・ロイスを乗り回すことなどできないだろう。ロールスは街行く人達の中に眠っている潜在的共産主義を呼び覚まし、嫌悪感を向けられてしまう。それに、いずれ信号待ちでファントムと並べば、街行く人達から軽蔑されてしまう。ファントムを購入しない理由など一つしか存在しない。つまり、差額の8万ポンドが払えないということを周りに知られてしまう。
そろそろ、私がゴーストに対してどんな感想を持ったのかを書いて締めくくらなければならないのだが、心境はなかなかに複雑だ。車としては批判するべき部分もほとんどないのだが、経験としては不満だ。結局のところ、私が乗ったのは豪華に仕立てあげられたBMW 7シリーズだ。ならば、中古のファントムを購入したほうがいいのではないだろうか。あるいは、レンジローバーならもっと安い値段でゴーストと同じことができる。結局、私はこの車を運転することを楽しむことができた。しかし、この車を所有することが楽しいことだとは思えない。
The Clarkson review: Rolls-Royce Ghost (2010)
今回紹介するのは、2010年に書かれたロールス・ロイス ゴーストのレビューです。

なんだかんだで、人類は車の運転が得意だ。運転がうまい人類はたくさんいる。ラウンドアバウト。高速道路の合流。立体駐車場の入り口。そんな場所を、電話をしながらでも、サンドイッチを食べながらでも、女性とのセックスについて考えながらでも運転することができる。しかし残念ながら、絶望的なほどに運転が下手な人類も同じくらいたくさんいる。
今日の午後、フォッセ・ウェイを走行中、前を走っていたBMW(プジョーではない)はラウンドアバウトに入るたびに一時停止し、停止後一定時間が経過すると、周りの車の流れがどうであろうと、そうプログラムされているかのように走り出した。
昨日はM25を走行中、キア・ピカントに追い越されたのだが、少なくとも150km/hは出ていた。こんな出来の悪い車で安全に走行できるのはせいぜい10km/hがいいところだろう。それを140km/hも上回っていた。しかも、たびたび車線を外れて不安定に走行しており、ひょっとしたら自殺志願者なのではないかとさえ思った。私なら、子供を人質に取られて脅されても、こんな酷い車であんな運転をするつもりはない。
しかし、私が一番恐れているのはスピード狂ではない。むしろのろまが危ない。後ろの車列がプリマスまでずっと続いていることにも全く気づかず、自分だけのクラシックFMとスリッパの世界に浸っているような人達だ。
好戦的なのろまもいる。自分が最悪の人生を送っているから、他の人間も同じように最悪の人生を送らなければならないと考えているような人達だ。そのため、普段はゆっくり走っていても、後ろの車が抜かそうとすると突然スピードを上げる。自分を追い越すような人間は正面衝突を起こしてしまえと思っているのだ。そんな人達にとって、運転免許証が綺麗なことはズボンが綺麗なことよりもよっぽど重要だ。
こんな人達に対抗するためには、最低でも500馬力以上の車を買えばいい。私はずっとそう言ってきた。そんな車、例えばアストンマーティン・DBSに乗っていれば、のろまの後ろに連なる長い電車を一気に抜き去ることができる。シフトダウンしてアクセルを踏み込むだけで、次の曲がり角に突入してしまうずっと前に、大型トラック1台、小型トラック1台、トラクター2台、プジョー6台を抜いてしまうことができる。
そして次の直線では、憎むべきヒュンダイ乗りを余裕を持って追い越すことができる。ヒュンダイがどれほど頑張って加速して追い越しをさせまいとしても、韓国製の安物ではアストンの栄誉あるV12に敵うはずがない。ただ追い越すだけでなく、憎きヒュンダイを垣根に突っ込ませることまでできる。
別の解決策はさらにお金がかかってしまう。ロールス・ロイス ファントムを買うことだ。ジャスミンの香りが漂う静かな夏の日に、お風呂でうたた寝をするような気分になれる車だ。あまりに居心地が良く、車から出たくないとすら思うので、ヒュンダイが遅く走るほど嬉しくなってしまうことだろう。
ファントムは圧倒的な偉業だ。車を運転しているという感覚すら存在しない。わずかにBMWのコンポーネンツを使用しつつもほとんどゼロから設計され、魔法の絨毯と、ホバークラフトと、マイアミの南ビーチの要素を内包する、技術が生み出した最高傑作だ。レザー、エンジンが生み出す無音、クラフトマンシップ。そのどれもが完璧だ。それ以外の言葉では言い表せない。
なので、今回の主題となる車を作るためにかなりの悶着があったことは想像に難くない。いわゆるベイビー・ロールス、それがゴーストだ。何があったのかはご存知のことだろう。ロールス・ロイスは、財布の紐を握っているご主人様であるBMWから、ファントムと同じような、それでいて小さくて安価な車を作れと命じられた。それだけ聞くと良い車ができそうな気もするのだが、「小さくて安価」という言葉を翻訳すると「改悪」にしかならない。
ほぼ独自設計のファントムとは違い、ゴーストはBMW 7シリーズをベースとしている。これは大きな汚点だ。触れる部分はどこもBMW 7シリーズとは全く違う。しかし、それでも事実は事実だ。大量殺人鬼の娘と結婚するようなものだ。完全無欠の美女だったとしても、彼女のDNAに人殺しの要素が含まれているという事実はどうしようもない。
なので、私は大きな偏見を持ったままゴーストに乗り込んだ。こんな車を気に入るなどとは全く思っていなかった。そしてすぐ、予期していた最悪の事態に陥った。カーペットはミニやインドのレストランのカーペットと大差ないものだった。ロールス・ロイスには分厚い羊毛の敷物がなくてはならない。それこそがロールスと他の車を分断するものだ。
それに、ステアリングも同じだ。ロールスのステアリングは鉛筆よりも太くてはならない。ところが、ゴーストのステアリングはロン・ジェレミーのアレよりも太い。おかげでスポーティーに感じる。しかしそれは間違っている。ヘッドアップディスプレイもそうだ。これは乗用車であって、F-15ではない。
エンジンは、眠りから覚めてあくびをする人間のように立ち上がる。しかしすぐにまた静かになる。これは素晴らしい。そして、ギアをドライブに入れると(ちなみにこれ以外にはリバースしかない)進み出す。羊毛がないにもかかわらず、ベイビー・ロールスの走りには文句の付けようがなかった。とても快適で、今まで運転した中でも最も乗り心地の良い車と言ってもいいくらいだし、雪の降り積もった森と同じくらいに静かだ。"ゴースト"とはまさにこの車をうまく表している。
だからといって遅いわけでもない。邪魔なプジョーをみかけても、本来なら羊毛があるべき場所に足を踏み込めば、ゴーストが非常に速い車であることが分かるだろう。フクロウのごとく、静かに速い。それに、マシュマロのような乗り心地であるにもかかわらず、操作性まで良い。
では、この車に問題点はあるだろうか。運転席の窓を開け、煙草の煙を車外に逃そうとすると、巨大なドアミラーのせいで気流が自分の方に向かってくるため、灰が鼻に当たってしまう。ひょっとしたら、開発陣が職場での喫煙を禁止されていたためにこの問題点に気付けなかったのかもしれない。その結果、この車はマールボロ愛好家には向かない車となってしまった。
それに、あまりに作りが良すぎるため、室内では携帯電話の電波が一切繋がらない。このため、娘は怒り心頭に発してしまった。娘は7分間も携帯電話を使わずに我慢しなければならなかった。
それでもゴーストは素晴らしい車だ。室内は広いし、見た目も良いし、仕立ても美しい。普通、車のインテリアにあるものを家に据え付けたいなどとは思わないのだが、ゴーストの照明と時計なら是非とも家に欲しい。照明も時計も美しく、計器類はまるで宝石のようだ。メルセデスやアウディやジャガーのどんな車のインテリアよりも圧倒的に良い。なので、余分にお金を払うだけの価値はちゃんとある。
しかし…。羞恥心というものがある人間なら、ロールス・ロイスを乗り回すことなどできないだろう。ロールスは街行く人達の中に眠っている潜在的共産主義を呼び覚まし、嫌悪感を向けられてしまう。それに、いずれ信号待ちでファントムと並べば、街行く人達から軽蔑されてしまう。ファントムを購入しない理由など一つしか存在しない。つまり、差額の8万ポンドが払えないということを周りに知られてしまう。
そろそろ、私がゴーストに対してどんな感想を持ったのかを書いて締めくくらなければならないのだが、心境はなかなかに複雑だ。車としては批判するべき部分もほとんどないのだが、経験としては不満だ。結局のところ、私が乗ったのは豪華に仕立てあげられたBMW 7シリーズだ。ならば、中古のファントムを購入したほうがいいのではないだろうか。あるいは、レンジローバーならもっと安い値段でゴーストと同じことができる。結局、私はこの車を運転することを楽しむことができた。しかし、この車を所有することが楽しいことだとは思えない。
The Clarkson review: Rolls-Royce Ghost (2010)