イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2007年に書かれたミニ クーパーS クラブマンのレビューです。


Mini Cooper S Clubman

縮れ毛で垂れ乳のひねくれ者にとって、クリスマスは何かを贈ったり貰ったりする日ではない。家族と過ごす良質な日ではない。それに、イエスの誕生を祝する日でもない。なぜなら、世界中の誰もがそれを祝うことのできる状況にあるわけではないからだ。

彼らにとって、クリスマスは罪の意識に苛まれる日でしかない。彼らは日常的に自らの幸せに罪の意識を抱いているが、クリスマスになるとその熱がいっそう高くなってしまう。

彼らは自分の食べているクランベリーソースがアメリカから空輸される際、飛行機から二酸化炭素が放出されていることに罪の意識を抱いている。子供たちに大量のプレゼントを買ってしまったと罪意識を感じている。冷暖房完備の家に住み、腹を膨らませてのうのうと生きていることに罪意識を感じている。

そんな罪意識を和らげるため、多くの人々が無作為的にアフリカの家族に届くチャリティークリスマスプレゼントを購入している。そしてモザンビークの一部の家の薄汚れた煙突に贈り物を届けるため、オックスファムに募金している。

これが非常に立派なことだと思う人もいるかもしれないし、贈られているプレゼントがiPodか、マンチェスター・ユナイテッドのユニフォームか、あるいはアフリカの農民が本当に欲しいものなのだとしたら、私だってそう思うだろう。

しかし残念ながら、公正取引という狂気のもと、実際に贈られているのはヤギだ。何百匹ものヤギだ。オックスファムはこれが素晴らしい方法だと主張しているし、アクションエイドに至っては昨年ヤギを一匹贈られたエリアス・ナデバ・シルヴァという農民の言葉を引用している。「私の農地に夢が生まれました。アクションエイドの心遣いに非常に感謝しています。……」

「ただ、来年はもうヤギはいりません。レッド・ツェッペリンの『マザーシップ』が欲しいです。」

メディアに持ち上げられている善意の理想主義者がヤギ以外に好きなものとしては、糞の山や食品パック、コンドーム、トイレ建造用の材料などがある。そんなものをクリスマスに欲しがる人間など存在しようか。「パパ、パパ。サンタさんがいたんだ! 本当にいたんだ! サンタさんは僕に…トイレをくれたんだ。」

子供の顔に浮かぶ自暴自棄の表情は想像することしかできない。かつてない、圧倒的な絶望。イギリスに住む誰かがわざわざアフリカに住む自分のためにクリスマスプレゼントを用意してくれた。それを与えられた自分は幸運と言えるのだろう。しかし、そのプレゼントはトイレだ。

よく考えて欲しい。妻や恋人にコンセントの付いているものをプレゼントとして贈ってはいけないというのは常識として言われていることだ。それは女性が欲しいものではなく、必要なものでしかない。その理屈は世界中どこでも通じるはずだ。クリスマスプレゼントにトイレを欲しがるような子供など存在しない。確かに子供たちにはトイレが必要だろう。しかし、子どもたちが欲しいと願っているのは、テディベアやサッカーボールやBMXだ。それにAK47だ。

正直に言えば、トイレ以上に無意味で恩着せがましいプレゼントは思い浮かばない。史上最悪の本『Versailles: The View from Sweden』が次点だろう。しかし、ボールペンを咥えつつ思考に耽っていると、思い浮かんだものがあった。ターボエンジンを載せたミニクーパーS クラブマンだ。

あらかじめ明言しておくが、私は普通のミニは好きだ。ホイールベースがランドローバー・ディフェンダーより長く、今や到底ミニとは言えないような代物になってしまっていたとしても、デザインは素敵で、多くの魅力があり、アン・ブーリンしか乗れないようなリアシートやキング・チャールズ・スパニエルの半分も乗せられない荷室さえ気にならない。

それゆえ、クラブマンには大きな期待を寄せていた。この車はミニのデザインそのまま、乗客の四肢を切断したり愛犬を屠殺したりする必要のないパッケージを有していると考えていたからだ。

それに、以前新聞で読んだ評価が高かったことにより期待はさらに高まったし、私のところにやって来た試乗車を目の前にしてなお高揚した。私はリアの観音開きドアが気に入った。巨大なスピードメーターが気に入った。それに、この実用的な小型車に177PSの1.6Lエンジンが搭載されているという点も気に入った。この車以上に万能な車は他にはないのではないかとさえ思った。ただ、1万7,000ポンドを超える価格は問題だが。

残念ながら、1週間の試乗期間の後、この車が世界最悪の車の1台であると結論付けざるを得なくなってしまった。糞の山と同じくらいにいらない車だ。正直な話、ヤギの方がまだ貰って嬉しい。

最初の問題は右側にしかないリアドアだ。間違った側の車線を車が走っているドイツやアメリカに住んでいるなら、車を歩道に寄せて子供を降ろす際にも問題は生じないだろう。しかし正しい側の車線を走っているここイギリスでは、子供を道路側で降ろすほかなくなってしまう。

それに荷室にも問題がある。確かにアクセス性はいいし、普通のミニよりも容量が10L以上増加している。しかしそれでもまだ狭い。以前新聞で読んだレビューには、ホンダ・ジャズ(日本名: フィット)の方が荷室容量が100L多いと書かれていた。

それに、ホンダ・ジャズの運転席からは後ろを見ることができる。それ以外の大抵の車も後ろを見ることができる。後ろを見ることができるということは非常に重要な点であり、ランボルギーニ・カウンタックが売れなかった理由のひとつもここにある。そしてミニクラブマンは後ろを見ることができない。ルームミラーを覗いても、左右のバックドアの間にあるピラーしか見えない。

後ろを見ることができないということは、後ろを走るパトカーが見えないということであり、それゆえスピード違反で簡単に捕まってしまう。それに、クラブマンSの自然な巡航速度は180km/hであるため、なおのこと問題だ。

車の巡航速度というものは髪の分け目のようなものだ。ちゃんとした定位置というものがあり、それ以外の場所にセットしようとすると気になって仕方がない。妙なことにこの速度はエンジンのサイズには関係がない。この速度は、ボディの強度、サスペンションのセッティング、ギア比の3つの組み合わせによって決定される。愛車のメルセデスは何も考えずに走っていると140km/hに落ち着く。それはそれで大丈夫だ。しかし、ミニで何も考えずに運転すると160km/hを超過してしまう。そのため、超過しないように気を付けないといけないのだが、それだと気疲れしてしまう。

しかし、それ以上に気疲れするのがトルクステアだ。普通のミニでは大した問題ではないのに、どうしてクラブマンだとそれが大問題になるのかは分からない。少なくとも言えるのは、この車にナビを付ける意味はないということだけだ。どこへ向かおうとしても、この車は道路の傾いている方向に追従して進んでいく。ドライバーの意思が介在する余地などない。

実際、ラウンドアバウトから出るときにアクセルを踏み込むと危険を感じた。どう贔屓目に見てもこれは重大な欠陥としか言えない。

正直な話、これ以上続ける意味はないだろう。暴れ馬のごとくトルクステアを生み、荷室がなく、後方視界が皆無で、ドアの設計がおかしく、巡航速度が異常な車の良い所を探そうとするのは、小骨が多く、パサついている不味い魚の良い所を探そうとするようなものだ。要するに意味がない。

パンタロンの時代に育った人間なら、時にデザインが実用性に勝るということを理解していることだろう。しかし、ミニに関して言えば、価格が高過ぎる。車としての問題が多すぎる。いわば、大事な所に穴の開いたパンタロンだ。

そんなことよりも、素晴らしいクリスマスを過ごして欲しい。たくさん飲んで、たくさん食べて欲しい。プレゼントを贈ることや貰うことに罪悪感など感じないで欲しい。カーボンフットプリントや消費主義の弊害についてなど考えないで欲しい。ただ幸せに生きていればそれで十分だ。我々は友達のいないゴードン・ブラウンよりも幸せだ。


Mini Cooper S Clubman