イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2012年に書かれたアストンマーティン・ヴァンキッシュのレビューです。


Vanquish

私は変人だ。自分の好きなように家具を部屋に配置し、一旦座って考えてみると、やっぱりこの配置では駄目だと心変わりしてしまう。これは学生時代からの悪癖だ。学校の寮では4人の同級生と一緒に生活しており、当然そこには5人分の机と椅子があったのだが、私は少しおかしなことをしていた。

私は4人の同級生に1つの机しか使わせず、私は残りの机を占領し、そこに自分のHi-Fi機器を並べていた。その並べ方は、気分によって横並びになったり縦並びになったりとちょくちょく変えていた。

そんな性格の私は、アストンマーティン乗りの資格を十分に持っていると思う。アストンマーティンは資源の限られた小さな企業であり、大企業に支えられているわけでもなく、部品を調達するのも一苦労だ。

ベントレーにはフォルクスワーゲンというご主人様がいるため、ブレーキの供給を任せてしまうことができる。ロールス・ロイスはBMWにねだることができる。フェラーリはフィアットに頼ることができる。

しかし、アストンは自分でドイツの変速機メーカーであるZFのところまで行って「申し訳ないのですが、新しいトランスミッションを開発していただけないでしょうか」と頼まなければならず、その返事は大抵「無理です」だ。そのため、手持ちの部品を使って車を作らなければならない。アストンマーティンに2種類しかエンジンがないのはこのためだし、デザインが大きく1種類しかないのもこのためだ。

この系譜はDB9から続いている。素晴らしく、優美で、そして速い車だ。この車は会社の再出発を告げ、かなりの販売台数を記録した。

次いで生まれた新型車がV8ヴァンテージだ。訓練されていない目にはDB9と同じように映るかもしれないが、こちらにはV8エンジンが積まれており、よりスポーティーになっている。その後、ヴァンテージにDB9と同じエンジンが積まれたモデルも誕生した。

さらにその後、サイドシルのデザインが変更されたDB9がDBSとして発売された。これは実に素晴らしい車だったのだが、非常に高価でもあった。続けて、さらに別のサイドシルが開発され、ヴィラージュが誕生した。また、これらの車にはクーペのほかにコンバーチブルも設定されている。要するに、私の調査によると、アストンの設計者は同じものを何度も永遠に組み直しているだけだ。

そしてまた、新たな組み直しが誕生した。DBSとヴィラージュは消え去り、ここで紹介する車がその2台の後釜に就いた。この車は名前すら再利用されている。その名もヴァンキッシュだ。

初代ヴァンキッシュは印象深い車だ。それも、悪い意味で。この車は非常に高価だったし、大排気量のV12エンジンが搭載されていた。このエンジンはフォードのV6エンジンを2つ繋げて作られている。また、確かにこの車は速いのだが、それはあくまでも理論上の話だ。実際には6,000rpmまで1つのクラッチを犠牲にして回る。

つまり、この新型車は名前も使い回しで、エンジンもDB9やDBS、ヴィラージュ、それにV12ヴァンテージの使い回しだ。デザインも基本構造も、設計の古いZF製の6速ATもすべて使い回しだ。そんな使い回しに溢れたこの車の価格はというと、なんとオプションを含めないで18万9,995ポンドという高さだ。

それ以外にも問題がある。この車にはアルミニウムとカーボンファイバーが接着固定された先進的なボディ構造が用いられているし、サイドインパクトビームにはアルミが用いられている。とすると、ハンドブレーキどころか係留ロープが必要なくらいに軽い車に仕上がっていて然るべきだ。にもかかわらず、この車は1.7トンを超える。ひょっとしたら、シートに金の延べ棒が詰まっていて、それが価格の高さの理由でもあるのかもしれない。

つまり、この車は実質的にはバブル&スクイークのような車だ。一見すると魅力的なのだが、落ち着いてよく考えてみると、自分が食べているのはただの残り物だ。けれど…。

基本的なプロポーションは見慣れたものなのだが、細部のデザイン変更がかなり巧い。この車の美しさには目を瞠るものがある。フェラーリ・F12にも大の大人を気絶させるだけの魅力があるのだが、ヴァンテージはそれをも上回る。

古いボルボのナビは新しいナビに変更され、これまでいた場所を教えるだけでなく、ちゃんとこれから進むべき道を示してくれるようになった。先代モデルで近視の人間を苦しめた小さなボタンは、タッチするとわずかに振動する触感フィードバック付きのタッチボタンに変更されている。

それに、センタートンネルが小さくなったおかげで、従来モデルよりも室内空間が広がっている。非常に広いため、オプションのリアシートを付けてもそこにちゃんと人間を乗せることができる。頭も、それに脚も付いた人間をだ。

それに、シート表皮はまるで本革でできたプチプチのようで素晴らしい。しかもトランクまで広い。つまり、実用性とデザインの2点では、この車はワールドクラスだ。この車はベークライトの海の中にあるiPhoneだ。

それだけではない。エンジンは傑作だ。DBSよりも出力が11%向上しており、573PSを発揮する。それに、アクセルペダルに触れるたびにエンジンが吠え、自らの存在を誇示する。

聴覚に対する効果には留まらない。電子制御に監視され、何千もの部品から構成されるエンジンが忙しく動いているという印象ではない。まるで、ボンネットに巨大な1つの筋肉が収まっているかのように感じられる。圧倒的で、それでいて怠け者のトルクの山が感じられる。

普通なら、V12と聞くと心配になる。V8の方がV12よりもメカニズムは単純だが、それでもV12と同等のパフォーマンスを発揮でき、不具合が出ることも少ないのではないだろうかと気がかりになってしまう。しかし、ヴァンキッシュのV12エンジンは他に類を見ない至高の逸品で、不安など捨て去ることができる。

トランスミッションとも合っている。確かにヴァンキッシュのライバル車の多くにはパドルシフト変速の8速DCTが付いている。これは燃費を改善し、地球環境には優しいだろうし、サーキットで走るのにも適している。しかし、街中で走っていて、低速で100万分の1秒単位の小刻みな動きを要するような状況には適していない。DCTは低速域では粗くのろまで無能だ。

この点でアストンは優れている。この車にもパドルシフトは付いているが、それはオートマチックトランスミッションに繋がっている。これは古臭い技術かもしれないが、街中ではよっぽどまともに動いてくれる。

となると、街を出たらどんな走りをするか気になることだろう。バブル&スクイークに最新のライバルと戦えるだけの実力などあるのだろうか。はっきり言えばその答えはNOだ。重さを感じるし、そのせいで車が巨大に感じられ、実際以上に運転していて怖い。スポーツモードにしても、サスペンションを気違いモードにしても変わらない。マクラーレン・MP4-12Cやフェラーリ・カリフォルニアのような適度なスリルはない。つまり特別感がない。

とはいえ、今回試乗したのが市販前のプロトタイプであることを考えると、トランクリッドが壊れたり、助手席側のパワーウインドウがガタついていた点には目をつむるべきだろう。

もし、上記の問題点が市販モデルで改善されるとしたら(アストンマーティンではほぼありえないことだが)、結局この車はどう評価すべきだろうか。この車には圧倒的な美しさと至高のエンジンがある。英国式の現代のマッスルカーと言ってもいいかもしれない。実に魅力的ではないか。

しかし、この車の正体から目をそらすことはできない。この車は全く新しくなどない新型車だ。


The Clarkson review: Aston Martin Vanquish (2012)