イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2012年に書かれたプジョー・208のレビューです。


208

趣味に没頭しすぎるのは問題だ。趣味に没頭しすぎれば、話すことも、他のことを考えることさえできなくなってしまう。趣味はクラック・コカインにも似ている。

自分ではただ単に水中に虫を垂らして小魚を捕まえようとしているだけだと思っていても、カーボンファイバー製のロッドを買うために大金を費やし、朝の5時から川辺に通い詰めていれば、妻から三行半を言い渡されてしまう。

私にもそんな頃があった。1975年頃、私はHi-Fiというものに少し興味を持った。その後、瞬く間に深みにはまってしまい、恋人は何にも大した興味を持っていないような男と逃げてしまった。

その頃、私はマースデン・ホールのスピーカーを手に入れた。ワーフェデールのスピーカーの方が良いと言う人もいたが、私はそうは思わなかった。マースデン・ホールは愛用していたテレトンのアンプにぴったりだった。私はそれを買うため、わざわざ電車に乗ってロンドンまで出掛けた。

プレーヤーはといえば、当時はガラードSP25が人気だったのだが、私は休日に牛乳配達のアルバイトをして86SBを購入し、カートリッジにはシュアーM75EDを選んだ。この文章を書くにあたって、私は一切商品名や型式を調べてなどいない。名前はすべて、その頃からずっと私の頭の中に染み付いている。使っていたレコード針の種類や型式までちゃんと覚えている。

友人が遊んでいるのを横目に、私はデスクでアカイのテープデッキと学校のスピーカーを7ピンのDINコネクタで繋げようと格闘していた。私はつまらない人間だった。

1980年代になると、家電量販店各社がプライベートブランドでオールインワンのオーディオシステムを売り出し始めた。それには眩いくらいのライトが付いていたし、カセット投入部にはダンパーまで付いていて、一見するとよさげに思えた。ダイアー・ストレイツのアルバムを郊外のディナーパーティーで流すなら何の問題もないだろう。しかし、私のような人間は、そんなものは大嘘つきの悪魔のような製品だと考えていた。

ここから、ボルボ・340の話に移る。ご存知の通り、この車は酷い。イエスが到来すると信じているようなオランダ人が製造し、ゴムバンドで動き、ボディビルダー向けのステアリングが付き、パズルの要領でデザインされている。

しかし、強固で安全性が高いという点に関しては折り紙つきだったので、運転が苦手で自分が事故を起こすかもしれないと考えていたような人達の間で注目を浴びた。おかげで、それ以外の人達にとっても大きなメリットが生まれた。対向からボルボ・340が来れば、身構えて危険に対処することができた。

しかし、結局ボルボは下手糞なドライバー向けの出来の悪い車を作るのをやめ、下手糞なドライバー達はこぞってローバーへと乗り換えた。しかしそれでも一般ドライバーは下手糞を識別することができた。左車線を走るローバー・45が左側に方向指示器を出していても、必ずしも実際に左に曲がるわけではないということを予測することができた。

しかし、ローバーは滅亡し、下手なドライバーを見分けるのが難しくなってしまった。ヒュンダイやキアに乗り換えた人もいれば、フォルクスワーゲン・ゴルフに乗り換えた人もいた。当時は非常に危険な時代だった。

しかし幸いなことに、プジョーが救いの手を差し伸べた。このフランスメーカーは長い間素晴らしい車を作り続けてきたのだが、突如安くて出来の悪い車を作り始め、補聴器を付け、帽子をかぶって運転をする、ルームミラーに何かをぶら下げることが大好きな人々の気を引くようになった。

先日、ロンドン西部のハンガーレーン地下区間の入り口で逆走するプジョーを見かけた。道路構造上、そこで逆走することは不可能なはずなのだが、そのプジョーのドライバーはそれをやってのけた。それに、別の日にはガードレールに突っ込んでいるプジョーも見かけた。

先週、私はものすごく久々にプジョー・208に近付いた。これまでずっと自分とは対極の位置にいた車と間近で対面すると、どこか奇妙な気持ちになった。プジョーは、道路上で起こる出来事なにもかもを一切予測することのできないような人が運転している。「なんてこった。信号が突然赤になってしまったぞ!」 「うわっ。こんなところに車がいたのか!」

もし私が警察のお偉方だったら、部下にはプジョーを見たら必ず脇へ寄らせ、ヴェラ・リンの影響を受けて運転していないかを調べるように命じる。プジョーのような運転をするような人はきっと何かの影響を受けているはずだ。

一体何がプジョー乗りに影響を与えているのかを解明するため、私は208 1.2L VTi Allureとともに1週間を過ごした。この車は見た目は良いし、価格は1万1,495ポンドと、装備内容を考えれば十分にお買い得だ。

唯一異常だったのはステアリングだ。シャツのボタンくらいの大きさしかなく、しかもかなり低い位置に配置されていた。あまりに低いため、もし事故が起こればエアバッグが睾丸を直撃し、死んだ方がましだと思うような痛みを味わうことになるだろう。

しかし、良いところもたくさんある。エンジンは1.2Lにしてはかなりパワフルだ。110km/hで走ることもできる。この車が1時間で走ることのできる距離は、普通のプジョーが20年間で走ることのできる距離よりも長い。それに、何もかもを制御することのできる中心管制システムも気に入った。

ボディサイズは先代の出来の悪かった207よりも小さくなっているのだが、室内は広くなっている。非常に広く、リアにもちゃんとスペースがあり、シートを倒せば犬を3匹乗せることもできる。そのほかにも、静粛性は高いし、快適だし、視界も広い。

しかし、それでも疑いは拭い去れなかった。表面上はどこもまともでも、エンジンをかけるたびに疑念が感じられた。それはほんの一瞬の出来事なのだが、デザインやパッケージングがいかに優れていようと、走りにどこかしっくり来ないところがあるのではないかという囁きは消えることがなかった。

実際、この車は悪い車ではないのだが、素晴らしいと言える車でもない。フィアットのコンパクトカーどころか、フォルクスワーゲンで感じるような興奮すらこの車には感じられない。

つまり、この車は車好きにとってのオールインワンオーディオシステムだ。優れたパッケージングや豊富な装備は、ダイアー・ストレイツを流しながら近所の店に買い物に行くために使うだけなら何の問題もないだろう。しかし、この車にはそれ以外のものは何もない。

つまり、これは車に興味を持っていない人達のための車だ。それが全てを証明している。興味のないことが得意な人など存在しない。

プジョーがCMの中で、208はあなたの身体をドライブに連れて行ってくれる車だ、と宣伝しているのも、それが理由なのかもしれない。身体は車に乗っていても、心はもっと別のことを考えていることだろう。

しかし、ここから興味深い結論を導くことができる。もし208を買えば、他のドライバーはこの車を避けることだろう。この車はどこかに突っ込んでいくのではないかと恐れられることだろう。

つまり、もし運転が上手い人がこの車に乗れば、他のどんな車に乗るよりも、速く、かつ安全に移動できるかもしれない。


Peugeot 208: Kiss goodbye to your no-claims — Mr Fender-bender has a new toy