イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2012年に書かれたフォード・クーガのレビューです。


Kuga

毎週のようにしつこく見聞きするのだが、世界で一番暮らしやすい場所は、サン・トロペでも、トスカーナでも、カリフォルニアでもなく…(ドラムロール)…デンマークだそうだ。誰もが同じことを理由に挙げている。犯罪がなく、失業もなく、肥満もなく、暴力もなく、嫉妬もなく、恐怖もなく、道端に犬の糞もない。しかし結局のところ、悪いことが起こらない土地では良いことも起こらない。

デンマークに住むのはピンポン玉の中に住むことと変わらないのではないかとずっと思っている。無味無臭、中庸無難な正常位の国だ。こんな国に一体何があるのだろうか。高率な税金。不安定な天気。夜中に踏んでしまうレゴブロック。考えうる限り最悪なポップ音楽。国際舞台に立てるだけの実力を持つデンマークのアーティストはバービー・ガールくらいしかいない。

デンマークに住むべきだと言うのは結構なのだが、そもそもデンマークは移民を受け入れてなどいない。それに、デンマーク人自身、これほどまでに褒められていることを驚いているのではないだろうか。

つい先週もコペンハーゲンの新聞にデンマークの良さが書かれていたのだが、そこにはデンマークでサイクリングをすると美しいデンマーク人の女性の尻を視姦することができると書かれていた。

それだけではない。世界最高のレストランはコペンハーゲンにあるし、国民誰もがヘレナ・クリステンセンのような容姿だし、タバコが吸えるバーは少ないし、ベーコンは最高だし、寒冷な気候にもかかわらず、カフェ文化が発達している。近代建築はまるでバング・アンド・オルフセンがデザインしたかのようだし、海の水はジンのように透き通っていて、街はクリーンでまるでレモンジュースを呼吸しているようだ。

実際のところ、私の中での世界の都市ベスト5は以下の通りだ。サンフランシスコ、ロンドン、ダマスカス、ローマ、そしてコペンハーゲンだ。コペンハーゲンはこの上なく素晴らしい。

何より素晴らしいのは、つまらない車が道を塞いでいるということがない点だ。ほとんどの人がどこへ行くにも自転車を使っている。そんなのは最悪だと思うかもしれないが、そう思うのは自転車と自動車が道を共有しているような国に住んでいるからだ。こんなシステムがまともに機能するはずがない。犬と猫を同じケージに入れて共生させようとするようなものだ。共生などできるはずもなく、その結果、ロンドンでは水面下で自転車と自動車の戦争が起こっている。

私はいつも自転車のことを目の敵にしているし、自転車もドライバーのことを目の敵にしている。議会は選択を迫られている。車か、自転車か。そして、コペンハーゲン市議会は自転車を選んだ。それにはたくさんの理由がある。

そもそも、デンマークでは車にかかる税金が高すぎて、ジョージ・ジェンセンかロン・バングかコリン・ルアーパックくらいしか車を購入することができない。フォルクスワーゲン・ゴルフのベースグレードですらおよそ350万円だ。フェラーリ・458イタリアに至ってはおよそ6,500万円だ。デンマークでのレンジローバーは王家の宝石と変わらない。

それに、デンマークには大量の風力発電機がある。あまりに多いため、飛行機でデンマークに着陸することさえ難しい。実際、デンマーク人は風力発電機で土地を全て使ってしまい、海の上にまで発電機が並んでいる。デンマークでは、風ではなく発電機という障害物のせいで船の進路が変わってしまう。その結果、デンマークでは火力発電所も一基たりとも止まらずに稼働しているにもかかわらず、デンマーク人はあたかもCO2対策を十全にしているかのように感じている。

それに、デンマークは国中どこでも目と鼻の先にあるため、自転車での移動も楽だ。また、自転車に関しては非常に適当だ。自分の自転車が盗まれれば、他の人の自転車を勝手に拝借してしまう。他人の自転車を盗んででも日が沈む前に家に帰らなければ約7,000円の罰金を課せられてしまう。

イギリスにおける自転車は政治的主張でしかない。ヘルメットにカメラを付けることで、自分のところに突っ込んでくる自動車を映し、YouTubeにアップロードして笑いものにすることができる。そして、顎髭を生やして高慢な態度をとり、ユニフォームを着る。イギリスにおける自転車とは、核軍縮運動のアウトドア的なプラカードだ。

しかし、コペンハーゲンにおいては、自転車はあくまでも便利な移動手段に過ぎない。誰もヘルメットなんてかぶっていない。誰も蛍光色の服など着ていない。着ているのはあくまでも行き先に適った服装だ。ミニスカートを穿いて自転車に乗っている女性もいる。ツール・ド・フランスに参戦しているような気分で自転車に乗っているような人などいない。汗をかいて臭くなるほどにスピードを出すこともなく、あくまで適度な速さで走らせている。

その結果、街はまともに機能している。見た目も良い。それに驚くほど落ち着いている。それに安全だし、人生の半分を駐車場を探すために浪費することもない。そこでの生活にはちゃんと魂がある。

しかし私はデンマークに住んではいない。私はベン・ネヴィスのある国に住んでいる。この国では誰もが車を持つ必要がある。この話が、DuratorqエンジンとPowerShiftトランスミッションを備えるフォード・クーガに繋がる。

このモデルはCIAの諜報員や暗殺者、冒険者のための車のように思える。見た目もそれらしく、ボンネットにはパワーバルジが付いており、ホイールは大きいし、勢いのあるアグレッシブで喧嘩腰なデザインだ。

しかしその実、この車は学校の送り迎えをする母親のための車だ。実際、そのために設計されている。しかし、この車は外見からすると巨大で背も高いように見えるのだが、中身は狭い。困ったことに、自力でこの車の中によじ登れるような大きさの犬は、この車の荷室には収まらない。

他にも問題がある。今回私が試乗した車は、オプションまで込みで3万1,840ポンドだった。これはかなりの額なのだが、それでもナビさえ装備されていなかった。

確かに道具として見ればこの車は全く悪くない。風切り音もするし、タイヤノイズもそれなりにあるのだが、快適性は高く、よく落ち着いている。それに、この車の装備は多階層のサブメニューが使いづらいということをちゃんと理解している人間が設計しているようで、どれも使いやすい。

しかしまだ疑問は残る。この車の存在意義とは何なのだろうか。要するに、この車は竹馬を履いたフォード・フォーカスでしかない。走りはフォーカスほどには良くないし、燃費もフォーカスより悪いし、値段も随分高いし、勝っている点があるとは思えない。確かに、クーガには4WDモデルもあるのだが、2WDのモデルもある。つまりこういうことだろうか。「フォーカスが欲しいのだが、特に意味はないけど必要以上に高いお金を払いたい。」

結局、この車はバング・アンド・オルフセンのオーディオに似ている。中身は退屈で、魅力があるのは外見だけだ。しかし、クーガに関しては外見もさほど良いとは思えない。


The Clarkson review: Ford Kuga (2012)