イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2011年に書かれたランボルギーニ・アヴェンタドール  LP 700-4 のレビューです。

※2015年に書かれた試乗レポートはこちら


Aventador

一般に、アメリカの都市はどこも同じだ。中心部は尖っており、その周囲は味気ない料理を大量に提供する巨大な店舗が取り囲んでいる。ホテルも全部同じだし、裏路地には家族経営の魅力的なレストランなど存在しない。

しかしマイアミは違う。マイアミに行くのは楽しい。マイアミビーチという名の細長い土地には、他では見られないようなアールデコ調のホテルやマンションが建ち並んでいるし、天気が非常に良く、目を細めれば、ガス・グリソムやアラン・シェパードがコルベットで走り回っている情景を思い浮かべることができる。

1950年代は世界中が煙たくて悲惨で満ちていたが、アメリカだけは希望と冒険と勇気に満ち溢れた人々が酒を飲んでは車を運転し、酒を飲んでは踊り、酒を飲んでは宇宙に飛び立つことを夢見ていた。それはココアビーチの時代であり、輝かしい笑顔とパーティーの時代だった。そして、マイアミビーチにはその頃の名残が残っている。私はマイアミビーチが好きだ。

しかし1つ問題がある。イギリス的な野暮ったい髪型や、締まりのない胸や太鼓腹では、マイアミビーチに行くこともできない。もし行こうものなら間抜けに見えてしまう。マイアミに行くためには努力をしなければならない。

ボートを持っているだけでは駄目だ。リアに大排気量のエンジンを3機載せていて、かつサイドには巨大な虎が描かれていなければならない。同様に、オートバイを持っているだけでも駄目だ。2mのフロントフォークや、鯨の革を使ったサドルや、足の踏み場もないほどに巨大な7L V8エンジンや、そのエンジンの音を何ら損なうことのないエグゾーストがなければならない。

そうはいっても、マイアミのゴルフコースではさすがに目立つことなど不可能だと思うことだろう。しかしそんなことはない。マイアミでは、20インチ光輝ホイールを履き、ボンネットに蛇が描かれたゴルフカートが販売されている。もちろん、グリルはロールス・ロイスだ。

プライム・ワン・トゥエルブというレストランに行ったことがある。ここは街でも一番のホットな場所であり、ここに入るのは簡単なことではなかった。この上なく美しく、非常にスレンダーな受付嬢は「ご予約はしてありますでしょうか」と訊いてきた。私が予約をしていないと知ると、彼女は私を上から下まで観察し、私が太っていて歯の色はパブの天井と同じだと認識したため、明らかに空いていたのに満席だと言われた。

さすがにそれは冗談で、実際は数分後にウェイターが私のところにメニューを持ってきたのだが、何もかもが巨大だった。トマトはリチャード・ハモンドの頭よりも大きかった。ほうれん草を追加で注文したら、バスタブに入ってやってきた。しかもステーキは、なんということだ。まるでそこはハリウッドのB級映画のような世界だった。蟻は人間と同じ大きさで、グレープフルーツは旅客機よりも巨大な、そんな世界だ。

しかし、皿に乗っていたのがブロントサウルスほどの大きさだということにも私は気付かなかった。私は店の外に広がる光景に魅了されてしまっていた。

プライム・ワン・トゥエルブは目立ちたがり屋の最上位の存在たちを惹きつけていた。彼らが店に乗り付けた車は異常だった。大径ホイールを履き、ジャッキアップされたカマロコンバーチブル。24インチホイールを履いたベントレー。ネオンの昆虫に乗って現れた男もいた。それに、車高短のロールス・ロイスもいた。私はこんな車の走行性能がどれほど酷いかということにしか考えを巡らすことはできなかった。しかしそんなことは問題ではなかった。マイアミの車は運転するためのものではない。登場するためのものだ。

以下に記すことは作り話ではない。レストランの通り向かいのマンションのロビーにカップルがやって来た。2人はポーターが地下駐車場から車を持ってくるのを5分か10分ほど待っていた。そして、レストランまでのわずか50mかそこらをその車に乗って移動した。

だとしたら、ロールスの乗り心地がどんなに台無しになろうと、誰が気にしようか。カマロから降りるときにはしごが必要なことを誰が気にしようか。ポルシェの改造マフラーのせいで10kmも走ったら難聴になってしまうことを誰が気にしようか。こういった車はそんなに長距離を走ることなどない。

世界の他の場所では、車に様々なものが求められる。安さ。経済性。スピード。室内空間。快適性。しかし、マイアミの人々は、人にひけらかすために、フィラデルフィアにある自分の会社がうまく行っていることを証明するために、車を買ったり、もしくは借りたりしている。

新型ランボルギーニ・アヴェンタドールもこの世界にぴったりの存在だろう。ド派手なホイールを付けたり馬鹿みたいな塗装をするまでもなく、そもそもの価格が25万ポンドであり、それだけで注目を浴びることだろう。この車はレンジローバーよりも5cm幅が広い。別の言い方をすれば、ロンドンバスとほとんど同じ幅だ。それに、6.5LのV12だ。ひょっとしたら、もうこんなエンジンが出てくることはないかもしれない。今や、EUの排出ガス規制のせいで、ターボだけが唯一の現実的な答えになってしまった。

しかし、大排気量エンジンのパワーには夢中になってしまうような魅力があり、それがなくなってしまうのは惜しくてならない。加速はマイアミの海沿いと同じくらいに強烈だし、最高速度は約341km/hと、50mそこらの移動には到底使えないくらいに速い。

しかし、この文明社会において、そんなものが何の意味を持つのだろうか。

ランボルギーニは、ミウラ以来初めて刷新されたV12エンジンや、最先端の技術をふんだんに用いた4WDシステムや、カーボンセラミックブレーキや、F1と同じプッシュロッドサスペンションを誇っている。しかし、カーボンセラミックブレーキや高性能なサスペンションにはバネ下重量を減らす効果があるそうだが、エンパイアステートビルと同じくらいに重い車にそんなものを付けて一体何の意味があるのだろうか。

これだけの先進技術が投入された本当の理由は、派手でイカれた、それでいて素晴らしいデザインの内側には、フェラーリ的な先進性が詰まっている、とオーナーが自己満足できるように、ということなのではないだろうか。

正直なことを言えば、この車にフェラーリのような先進性など存在しない。この車はただの野蛮人だ。この車は運転するものではない。格闘するものだ。確かに、かつてのランボルギーニほどに荒削りではないし、ドライバーを殺そうという気概があるわけではない。しかし、アクセルを踏んだ時、ドライバーはもう運転をしているとは言えない。ただ車に縋り付いているだけだ。

イタリアでかなりの長距離を運転したのだが、この車は静粛性が高くて快適性も驚くほどに高く、アウディのナビやアウディの操作系が付いているのは確かなのだが、この車が獰猛なモンスターであることに変わりはなかった。そしてその点で、私はこの車を非常に気に入った。

スピードも気に入った。デザインも気に入った。ひょっとしたら、これまでで最高のデザインの車かもしれない。それに、ダッシュボードやフロントフェイスやリアエンドの馬鹿みたいなデザインが気に入った。

しかし、この車を欲しいとは思わない。ヘルペスに罹った方がマシだ。しかしそれでも、マイアミのレストランに行ったり、助手席に座る女の子がパンツが見えないように苦労して車から降りる姿を眺めたりはしたい。


The Clarkson review: Lamborghini Aventador (2011)