イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2012年に書かれたフェラーリ・458スパイダーのレビューです。


458

日産・マイクラ(日本名: マーチ)やフォルクスワーゲン・ゴルフやフォード・フォーカスを買う人は車に完璧さを求めるだろう。大手自動車メーカーもこれを理解しているし、だからこそメーカーは、氷点下でもエンジンが始動するか、太陽を走ってもエアコンがちゃんと効くか、などの厳しいテストを発売前に行っている。

非常に細かいところまで配慮が行き届いている。あらゆる部品がテストを繰り返し受ける。そうして部品に変更があれば、変更された部品もやはり何度もテストされる。しかし、超高価なスーパーカーの世界となると話は変わってくる。ランボルギーニは130km/h以上で走ったら離陸してしまうということを発売前に知りながらミウラを発売した。続いてランボルギーニは、室内が狭すぎて蟻か胎児にしか運転できないカウンタックを生み出した。当然、蟻にも胎児にもあまり力がない。コンクリートで固められていると思しきシフトレバーも、ほとんど装飾品としか思えないステアリングも操作することなどできるはずがない。

しかしそんなことはさして重要ではなかった。そもそもランボルギーニは大概エンジンがかからなかったからだ。しかし、時が経つに連れてスーパーカーメーカーも耐久性や利便性のことを考えるようになった。しかし、1990年代になってもまだ十分なレベルには程遠かった。私がかつて所有していたフェラーリ・355GTSは、ルーフを外すとシートベルトがギターの弦のようにはじけたし、エンジンは修理に出さなければならなくなったし、スロットルは2段階しかなく、3km/hか280km/hでしか走ることができなかった。

その後、私はランボルギーニ・ガヤルドスパイダーを購入した。この車はアウディのお堅い人々の監視下のもとで開発された。その結果、トヨタ・カローラと同じくらいに使いやすい車になったと思う。

いや、さすがにそんなことはない。カップホルダーは600ポンドのオプションだったし、右ハンドル車のペダルのことなどそもそも一切考えられていない。その結果、私のようにマニュアルモデルを買うと、左足を置く場所がなくなってしまう。左脚を切断しなければならなくなってしまう。

ここに問題が潜んでいる。小規模な自動車メーカーには、設備を整えたり、まともに動かない部品を設計し直したりするだけの資金力がない。そのため、結局は、顧客がスピードや美しさに気を取られ、ドアがまともに閉まらなかったり、カバが助手席に座っていたりすることに気付かないことをひたすら願うほかなくなってしまう。

しかし、幸いな事に、今では大概のスーパーカーメーカーが大手自動車メーカーの傘下にあり、発売前に欠陥を修正するだけの資金を得ることができる。そう思うことだろう。しかし、フェラーリ・458スパイダーに数日乗って、昔と全く変わっていないことに気付いた。

ワイパーをフルスピードで動かすとヒステリックになって毎回ウインドウフレームに衝突してしまう。ラジオは電波を拾うことができない。助手席に人が座っていない時にはシートベルトがシートバックとぶつかって音をたてるし、給油する時には給油ノズルを逆向きにしないと入らない。

それだけではない。ラジオを聴いていても大抵は雑音しか流れないため、ラジオを選局しようとするのだが、選局するためにはメニューに入り、ダイヤルを回してから別の場所にあるボタンを押してラジオ局を選択し、ナビ画面に戻るためにはまた同じことを繰り返さなければならない。

まだある。ウインカーやワイパーを操作するためのレバーがないため、あらゆる操作系(ウインカーやワイパー以外に、エンジンスタートボタン、クラクション、6ウェイトラクションコントロール制御変更、サスペンション制御変更、ラジオ操作系がある)がステアリングに集約されている。娘も驚いていた。娘はこの車を運転するのはまるでBOP ITで遊ぶかのようだと言っていた。

フェラーリは時間が経てばこれにも慣れることができると言っていた。それは事実だろう。関節炎の痛みにも慣れるのと同じだ。しかし誤解しないで欲しい。458スパイダーはスーパーカーの中では一番使いやすくてモダンだ。しかしそれでも、日産のハッチバックだとしたら許容できないレベルの欠点がある。

それに、この車は安くもない。ベース価格は19万8,936ポンドだが、イタリアの国旗の色の綿糸のステッチが欲しければ720ポンドが追加でかかる。少量の綿糸が720ポンドだ。それに、ホイールを金色にしたければ、1,238ポンドかかる。プレミアムHi-Fiシステムは3,411ポンドだ。チタン製のホイールボルトは1,919ポンドだ。レッドブレーキキャリパーは880ポンド、レーシングシートは4,961ポンドだ。最終的に、私の試乗した車の価格は26万2,266ポンドまで膨れ上がっていた。経済学者だろうと"多額"と表現することだろう。

しかし、支払う金1ポンドごとにちゃんと意味がある。なぜなら、この車は崇高だからだ。ただ、この点で矛盾があるのではないかと指摘する声もあるかもしれない。

かつて私は、新型ポルシェ・911カレラSカブリオレはピュアスポーツカーとして必要な補強用の部品のせいでオープンカーとしては使えないと言ったことがある。このような車からルーフを取るのは高級食材に量販品のソースをかけるようなものだ。味は濃くなるかもしれないが、繊細さが台無しになってしまう。そして911にとっては繊細さこそが全てだ。

しかしフェラーリは違う。458は純血のスポーツカーではない。確かに走りはそれに近いが、この車は同時に歌手であり、モデルであり、アスリートだ。天使の顔とパヴァロッティの肺を持ったヘプタスロン選手だ。なので、オープンカー版を選んでも何の問題もない。オープンカーなら、屋根を開けて走ることで車が劇場にも変貌するようになる。それで0.1km/h遅くなることなど誰が気にしよう。日焼けだってできる。

アルミ製のルーフは標準車のルーフよりも軽い。キャンバストップにした場合よりも軽くなっているそうだ。それに、ルーフは14秒で電動格納される。ルーフを上げた状態でバックウインドウを下げておくこともでき、雨が降っている中でもV8のサウンドトラックを楽しむことができる。私もそうした。

オープン化による弊害はあるのだろうか。それは否定できない。赤信号の合間にルーフを下げると、半径100m以内の人全員から注目されてしまう。それに、厳しい環境ではクーペよりも楽しめないし、フロントガラスはアーチ状になっていてどこか不格好にも見える。

しかし、フロントはともかくリアは素晴らしい。後ろから見ると、まるで昔のフェラーリ・250LMのようだ。後ろ姿は私がこれまで見てきた中でも最高の見た目の車の1台だ。それにこの車は非常に快適だ。確かにこの車には腰に来る振動があるが…。

軽さ。凶暴さ。音。美しさ――。1億5,000万km先の空を、並ぶ木々が隔てている。トランスミッションはミリ秒どころではなく、ほんの一瞬で変速する。車が絶叫する。ブレーキをかける。再び車が絶叫する。コーナーへ。そしてPOWEEEERRRR。

今のフェラーリの走りは他のどの車にも似ていない。格段に優れている。そしてこの車はといえば、そんなフェラーリの中でも最高だ。この車よりも技術的に優れた車やごくわずかに速い車は当然存在する。マクラーレン・MP4-12Cもそうだし、ベントレー・コンチネンタルスーパースポーツもそうだ。しかしそのどちらにも、458ほどの生への渇望は感じられない。この2台はあくまで道具でしかない。

私は何年も前にスーパーカーを卒業しようと決めた。フォード・GTを買って、もうスーパーカーは買わないと誓った。その誓いは今でも守っている。けれど、もしその決意が揺らぐのだとしたら、その原因はきっとこの車だろう。この車は馬鹿げていて値段も高く、車として評価するなら40点しか与えられない。しかし、モノとして評価するなら、人間の幸せとして評価するなら、この車には140点を与えられる。


The Clarkson review: Ferrari 458 Spider (2012)