イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、2012年に書かれたラーダ・リーヴァのレビューです。

最近は世界中どこでもロシア人を見かけるし、その誰もが裕福そうだ。誰もが大きな腕時計を付け、巨大な車に乗り、刺繍の入ったジーンズを穿いている。サッカークラブのオーナーも多い。
ならば、航空会社はそんな新興富裕層をターゲットにしてモスクワ便には綺麗な最新の航空機を使うと考えることだろう。ところが妙なことに、ブリティッシュ・エアウェイズのとった行動は真逆だった。
私の経験上、BAが最高の航空機を配するのは大西洋を渡る便で、機材が少し古くなると、その航空機はJFK行きの任を解かれ、カリブ海に休暇で訪れる人を運ぶために使われるようになる。それにも耐えられないくらいに老朽化するとウガンダ便に使われるようになり、その後はスクラップにされるかアンゴラに売却されるかのどちらかだと思っていた。しかしそれは違った。
その後は消防局に譲渡されて緊急避難訓練に使われ、続いて想像上のテロリストを攻撃するSASの手に渡る。その後になってようやく、モスクワ便に使われるようになる。
先日、BAでロシアまで行ったのだが、機内のエンターテインメントシステムがVHSを使っていたと言えばその古さを理解してもらえるだろう。さらに酷いことに、テレビスクリーンは2インチよりも小さかった。しかもそれは壊れていた。同様にトイレも壊れていた。
BAの会長に対し、やっていることが真逆だと抗議の手紙を書いてやろうと思った。太った女性をCAとして雇い、不味い機内食を提供しているアメリカの航空会社と最高の航空機で競争しようとするのは、チェルシーがドンカスター・ローヴァーズとの試合で一軍を投入するような話だ。
会長は知らないようなので教えてやろうと思った。ベルリンの壁はもう崩壊しているし、ロシア人はもうビートルートを購入するために6年間並ぶようなこともないと。
それに、赤の広場にあるガムというデパートにも連れて行ってやろうと思った。昔は何千kmと離れた場所からわざわざ鉛筆を買いに来るような人もいた。しかし今や、ガムに比べればロンドンにあるウェストフィールドショッピングセンターがまるでエチオピアの露天商に見えてしまう。売っていた腕時計の中で最も小さなものでも機内で見ることのできなかったテレビよりも大きく、下着の値段は航空券よりも高かった。
ただの物質主義というわけでもない。ロシア人には頭に浮かんだこと何を言っても許される自由がある。イギリスでロシア人のようなことを話せば、人種差別だと怒られ、偏見野郎の烙印を押されることだろう。性的同意年齢を12歳まで下げて欲しいと言っても問題はない。それでペドと罵られることもない。むしろその主張の理由を興味を持って聞いてくれる。ロシア人は70年間、議論もせずに全てのことをしてきた。その結果、彼らは今、あらゆることについて議論をしたがっているのだ。
当然、放射能が欲しくなければウラジーミル・プーチンに対する過度な侮蔑は許されない。しかし、それ以外の人については何を言っても許される。非常に解放的だと思った。
他にもある。イギリスでは、フィリップ・グリーン卿やシュガー卿がロンドン中心部のレストランで売春婦に囲まれてディープキスをしていれば噂になるだろう。しかしロシアではそれが日常的な光景だ。
友人は私がロシアにいるときにメールをくれ、モスクワは私には合わないかもしれないと警告してくれたのだが、そんなことはなかった。ただ、婚姻関係や預金残高、それに性機能には遺恨を生むかもしれない。
モスクワに行ったら、是非カフェ・プーシキンで本格ロシア料理を食べて、イギリスで5万ポンド未満で買えるような車が街中を走っているか観察してみて欲しい。それに、太っていたり、身長が180cmに満たなかったり、よれたような服を着ている女性が歩いているかどうかも観察してみて欲しい。ヒュー・ヘフナーが求めていた淫らな夢がどんなものであるかは分からないが、きっとモスクワの光景はそれに近しいものだろう。
また、私はクレムリンにも行ってみた。どの部屋も、まるで光り物に取り憑かれた4歳のお姫様の理想郷のようだった。
ロシアはまるでモンテカルロとクウェートの間の子のようだ。にもかかわらず、ラーダ・リーヴァの製造がまだ続けられている。これはまるで、サウジアラビアの王様が桶と洗濯板を使って自分で洗濯をしているような話だ。
ラーダはどうしてリーヴァの製造を続けているのだろうか。私がロシアの滞在中に見かけた人々の中に、こんな酷い車を買うような人がいたのだろうか。それとも、この車の中身が劇的に進化しているのだろうか。その謎を知るため、実際に試乗してみたのだが、実のところこの車は前よりも酷くなっていた。
リーヴァは1966年にフィアット・124としてトリノで誕生した。フィアットは共産主義者と取引を行い、フィアットの旧型車を製造する工場をロシアに建設する手助けをした。そうして生まれたのがラーダ・リーヴァだ。
熱心なファンは年を経るごとに進化してきたと言うだろうが、実際は何ら変わっていない。唯一変わったのは、ウクライナやエジプトでも製造されているという点だけだ。
私が試乗した車がどこで作られたのかも、誰が作ったのかも分からない。しかし、試乗車の出来は酷く、おそらくこれを作った人間は相当に怒っていたのではないだろうか。ステアリングは回転しないようにダッシュボードに溶接されているかのようだった。ブレーキを踏むと少し加速して突然左に旋回した。
ダッシュボードのボタンは適当に配置されているかのようだったし、エンジンはスーダンで30年間酷使された後のコンクリートミキサーのようだった。
100km/hまで加速することもできるが、それはフィアットが製造した個体だけだ。ラーダが作るようになってからは、そもそも動きすらしない。その上、作りも酷い。
以前にモンスタートラックでこの車を轢いたところ、車は真っ二つになった。比較のために全く同じトラックでインド製のシティローバーを轢いたのだが、こちらは大きな損傷を受けることはなかった。
ならばどうしてリーヴァの製造が依然として続けられているのだろうか。どうしてロシア人が今でもこんな車を買っているのだろうか。ひょっとしたら、宝石で飾られたモスクワの裏側のロシアは、本当は貧しいのかもしれない。
ひょっとしたら、BAの会長は私の知らない何かを知っているのかもしれない。裕福なロシア人は自分の飛行機を持っていて、山奥でカブを煮て過ごしている人々は、貧相なショールームに展示されている45年前の車をいつか購入することを夢見ているのかもしれない。
Lada Riva: Powered by beetroot, the hand-me-down that keeps Russia rolling
今回紹介するのは、2012年に書かれたラーダ・リーヴァのレビューです。

最近は世界中どこでもロシア人を見かけるし、その誰もが裕福そうだ。誰もが大きな腕時計を付け、巨大な車に乗り、刺繍の入ったジーンズを穿いている。サッカークラブのオーナーも多い。
ならば、航空会社はそんな新興富裕層をターゲットにしてモスクワ便には綺麗な最新の航空機を使うと考えることだろう。ところが妙なことに、ブリティッシュ・エアウェイズのとった行動は真逆だった。
私の経験上、BAが最高の航空機を配するのは大西洋を渡る便で、機材が少し古くなると、その航空機はJFK行きの任を解かれ、カリブ海に休暇で訪れる人を運ぶために使われるようになる。それにも耐えられないくらいに老朽化するとウガンダ便に使われるようになり、その後はスクラップにされるかアンゴラに売却されるかのどちらかだと思っていた。しかしそれは違った。
その後は消防局に譲渡されて緊急避難訓練に使われ、続いて想像上のテロリストを攻撃するSASの手に渡る。その後になってようやく、モスクワ便に使われるようになる。
先日、BAでロシアまで行ったのだが、機内のエンターテインメントシステムがVHSを使っていたと言えばその古さを理解してもらえるだろう。さらに酷いことに、テレビスクリーンは2インチよりも小さかった。しかもそれは壊れていた。同様にトイレも壊れていた。
BAの会長に対し、やっていることが真逆だと抗議の手紙を書いてやろうと思った。太った女性をCAとして雇い、不味い機内食を提供しているアメリカの航空会社と最高の航空機で競争しようとするのは、チェルシーがドンカスター・ローヴァーズとの試合で一軍を投入するような話だ。
会長は知らないようなので教えてやろうと思った。ベルリンの壁はもう崩壊しているし、ロシア人はもうビートルートを購入するために6年間並ぶようなこともないと。
それに、赤の広場にあるガムというデパートにも連れて行ってやろうと思った。昔は何千kmと離れた場所からわざわざ鉛筆を買いに来るような人もいた。しかし今や、ガムに比べればロンドンにあるウェストフィールドショッピングセンターがまるでエチオピアの露天商に見えてしまう。売っていた腕時計の中で最も小さなものでも機内で見ることのできなかったテレビよりも大きく、下着の値段は航空券よりも高かった。
ただの物質主義というわけでもない。ロシア人には頭に浮かんだこと何を言っても許される自由がある。イギリスでロシア人のようなことを話せば、人種差別だと怒られ、偏見野郎の烙印を押されることだろう。性的同意年齢を12歳まで下げて欲しいと言っても問題はない。それでペドと罵られることもない。むしろその主張の理由を興味を持って聞いてくれる。ロシア人は70年間、議論もせずに全てのことをしてきた。その結果、彼らは今、あらゆることについて議論をしたがっているのだ。
当然、放射能が欲しくなければウラジーミル・プーチンに対する過度な侮蔑は許されない。しかし、それ以外の人については何を言っても許される。非常に解放的だと思った。
他にもある。イギリスでは、フィリップ・グリーン卿やシュガー卿がロンドン中心部のレストランで売春婦に囲まれてディープキスをしていれば噂になるだろう。しかしロシアではそれが日常的な光景だ。
友人は私がロシアにいるときにメールをくれ、モスクワは私には合わないかもしれないと警告してくれたのだが、そんなことはなかった。ただ、婚姻関係や預金残高、それに性機能には遺恨を生むかもしれない。
モスクワに行ったら、是非カフェ・プーシキンで本格ロシア料理を食べて、イギリスで5万ポンド未満で買えるような車が街中を走っているか観察してみて欲しい。それに、太っていたり、身長が180cmに満たなかったり、よれたような服を着ている女性が歩いているかどうかも観察してみて欲しい。ヒュー・ヘフナーが求めていた淫らな夢がどんなものであるかは分からないが、きっとモスクワの光景はそれに近しいものだろう。
また、私はクレムリンにも行ってみた。どの部屋も、まるで光り物に取り憑かれた4歳のお姫様の理想郷のようだった。
ロシアはまるでモンテカルロとクウェートの間の子のようだ。にもかかわらず、ラーダ・リーヴァの製造がまだ続けられている。これはまるで、サウジアラビアの王様が桶と洗濯板を使って自分で洗濯をしているような話だ。
ラーダはどうしてリーヴァの製造を続けているのだろうか。私がロシアの滞在中に見かけた人々の中に、こんな酷い車を買うような人がいたのだろうか。それとも、この車の中身が劇的に進化しているのだろうか。その謎を知るため、実際に試乗してみたのだが、実のところこの車は前よりも酷くなっていた。
リーヴァは1966年にフィアット・124としてトリノで誕生した。フィアットは共産主義者と取引を行い、フィアットの旧型車を製造する工場をロシアに建設する手助けをした。そうして生まれたのがラーダ・リーヴァだ。
熱心なファンは年を経るごとに進化してきたと言うだろうが、実際は何ら変わっていない。唯一変わったのは、ウクライナやエジプトでも製造されているという点だけだ。
私が試乗した車がどこで作られたのかも、誰が作ったのかも分からない。しかし、試乗車の出来は酷く、おそらくこれを作った人間は相当に怒っていたのではないだろうか。ステアリングは回転しないようにダッシュボードに溶接されているかのようだった。ブレーキを踏むと少し加速して突然左に旋回した。
ダッシュボードのボタンは適当に配置されているかのようだったし、エンジンはスーダンで30年間酷使された後のコンクリートミキサーのようだった。
100km/hまで加速することもできるが、それはフィアットが製造した個体だけだ。ラーダが作るようになってからは、そもそも動きすらしない。その上、作りも酷い。
以前にモンスタートラックでこの車を轢いたところ、車は真っ二つになった。比較のために全く同じトラックでインド製のシティローバーを轢いたのだが、こちらは大きな損傷を受けることはなかった。
ならばどうしてリーヴァの製造が依然として続けられているのだろうか。どうしてロシア人が今でもこんな車を買っているのだろうか。ひょっとしたら、宝石で飾られたモスクワの裏側のロシアは、本当は貧しいのかもしれない。
ひょっとしたら、BAの会長は私の知らない何かを知っているのかもしれない。裕福なロシア人は自分の飛行機を持っていて、山奥でカブを煮て過ごしている人々は、貧相なショールームに展示されている45年前の車をいつか購入することを夢見ているのかもしれない。
Lada Riva: Powered by beetroot, the hand-me-down that keeps Russia rolling
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