イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、フィアット・500X 1.4 MultiAirのレビューです。


500X

マーケティングという仕事が楽しいとは思えない。どれだけ頑張ってアイディアを出したとしても、それが良いものかどうかは自分ですら分からないのだから。

仮に大物とのスポンサー契約やプロダクトプレイスメント契約を結べたとしても、それが本当に売上に結びつくのだろうか。そんなことは分かるはずがない。

もし、ジェームズ・ボンドの映画の中でフィリップスのロゴを繰り返し出させることに成功すれば、タートルネックを着たインテリメガネ男はすぐに昇給を認め、重役用トイレの利用権もくれることだろう。『リビング・デイライツ』でティモシー・ダルトンの乗るアストンマーティンのオーディオに、そしてタンジェで悪者を殺すために用いたキーファインダーにそのロゴがあった。しかしこれが果たして売上に影響を与えただろうか。少なくとも私の家庭では影響などなかった。

ロビンソンズ・バーリーウォーターはどうだろうか。もしウィンブルドンのセンターコートの審判席からそのロゴが消えれば、大量の在庫を抱えることになるのだろうか。仮に在庫を抱えていたとしても、その理由は子供がコカコーラの方が好きだからなのではないだろうか。

自動車業界にも様々なマーケティングが溢れているが、果たしてそれが機能しているのかどうかは分からない。例えば、アウディの"Vorsprung durch Technik"というキャンペーンを見てみよう。このコピーは成功したと言われているが、テレビCMの終わりでこれが読まれなくなった途端にアウディの売り上げは急上昇した。フォードにも全く同じようなことが言える。かつて、フォードはF1やラリーに多額の資金を注ぎ込み、多くの販売台数を記録した。しかし、モータースポーツにあまり注力しなくなった現在においても、フォードの販売台数は依然多い。

エンツォ・フェラーリはかつて、日曜の午後にレースで勝利すれば、月曜の午前中には販売が上昇すると言っている。これに対して誰もが訳知り顔で頷いた。しかし、それが事実ならば、フェラーリはここ2年間は1台も車を売れていないはずなのだが、実際には売れている。主にジェームズ・メイに。

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ここでフィアットの話に繋がる。数年前、フィアットはオリジナルの500のリメイクを生み出した。おそらくこれは多大なる市場調査の成果なのだろう。そうして生まれたのがその名も500だ。イギリスだけで20万人の不動産屋がこれを購入している。

フォードはこの成功の要因が自動車自体にあると考えたのだろう。そして、500のフォード版である2代目Kaを発売した。しかし誰もKaを欲しいとは思わなかった。結果、フィアットは成功の要因が名前にあると考え、新型のMPVも500の名称で販売し始めた。

続いてフィアットは、アメリカ的なオフロードカーであるジープ・レネゲードをベースに、流行りのシティモデルを開発することにした。さて、この名前はどうなったと思うだろうか。会議を重ね、エスプレッソが大量に消費された結果、この車も500の名称で販売されることが決定した。

かつて、フィアットは全てのモデルに違う名前をつけていた。パンダがあり、ストラーダがあり、スティーロがあり、クロマがあり、X1/9があり…。しかし、それは古臭いと結論づけた。結果、よりシンプルとするため、ハッチバックだろうと、トラックだろうと、スポーツカーだろうと、オフローダーだろうと、全てのモデルを500と名付けることにした。ラ・スタンパ(フィアットグループの新聞社)の名前もいずれはラ・500になるのではないだろうか。

ともかく、この新しい500にはXの文字が加えられた。Xは周りの人にそれが4WD車であることを伝える国際的に認められたシンボルだ。しかし、500Xは必ずしも4WDであるというわけではない。4WDはあくまでオプションに過ぎない。つまり、この車は500でもないが、500Xでもない。

この車には複数のグレードが設定されている。「オフロードルック」版には、「クロス」と「クロスプラス」がある。「シティルック」版には、「ポップ」と「ポップスター」、それに「ラウンジ」がある。最後に至っては意味が分からない。もちろん、「ラウンジ」は更紗のカーテンなびくイビサで流れるチルアウト音楽のイメージを生み出すということは知っている。しかし、私からすれば、チェシャーの住宅くらいしか思い浮かばない。

とはいえ、そんなナンセンスなマーケティングのことなど忘れて、車自体に集中するべきだろう。基本構造はジープと共有しているが、これら2台は大きく異なる。レネゲードは少しは成長した車ではあるのだが、それでもゲイダーに引っ掛かるような車だ。一方、フィアットは、クライアントと結婚し、子供を授かった不動産屋に向けられた車だ。それゆえ、広いリアシートや荷室スペースが必要となる。

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さて。しかし、そんな30代そこらの夫婦が、あえて賢明な日産やシュコダを買わずに、どうしてアメリカのコンポーネンツを用いたイタリア製のフィアットなど買うのだろうか。

奇妙なことがいくつかある。最近のフィアットは買って3分で故障してしまうようなことはなくなったようだ。最近のフィアットはかなり信頼性が高い。それに、最近のフィアットからはジョージ・マイケルらしさが全く感じられない。

本質的には、この車は5ドアハッチバックで、威圧感もなく、見た目も悪くない。それに、標準装備も豊富で、コストパフォーマンスも高い。

しかし、私はこの車があまり好きではない。そもそも、この車は500という名前でありながらまったく500らしくない。まるで私をブラッド・ピットと呼ぶような話だ。そんなことで騙される人間などいるはずもない。

それに、私にはこのような種類の車に対する本能的な嫌悪感がある。ミニ・カントリーマンも、日産・キンカンもそうだ。高い地上高や高い室内高を求める意味が分からない。それに、不必要な物になぜあえて余計な金を費やそうとするのだろうか。どうして普通のハッチバックを、つまりゴルフを、買わないのだろうか。

しかし、何よりもこの車が気に入らない理由は、運転していてまったくつまらないからだ。乗り心地は悪いし、ステアリングは緩慢だし、クラッチの動きは唐突だし、ブレーキはシャープすぎて緩やかに減速するのはほとんど不可能だ。

それに、センターコンソールには何もかもを悪化させるダイヤルまで付いている。左に回せばステアリングが特に意味もなく重くなる。右に回せば突然加速性能が麻薬中毒の亀のようになる。

何度も言っているように、農場を走り回るための地上高や、馬を乗せるためのヘッドルームが必要でもない限りは、このようなタイプの車を購入することを勧めない。それに、こういったタイプの車がどうしても欲しいとしても、フィアットは勧めない。

もし他の人に500に乗っていると言いふらしたいのであれば、良い方法がある。シュコダ・イエティを購入して、バッジをフィアットのものと入れ替えれば良い。


The Clarkson review: Fiat 500X Cross (2015)