イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「The Sunday Times」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、2008年に書かれたダイハツ・マテリア(日本名: クー/トヨタ・bB)のレビューです。


Daihatsu_Materia

恐らく、Apple iPhoneについてはご存知のことと思う。仔牛肉ほどのバッテリー寿命であり、これで写真を撮るくらいならイーゼルを組み立てて油絵を描いた方がましだという認識だろう。

それに、O2(※携帯電話会社)にしか対応しておらず、メールで写真を送信することもできないし、散々フリーズすると(iPhoneを持っていない人から)聞いていることだろう。

他にもある。iPhoneはインターネットに接続することができるので、サンディエゴの天気を知ることもできるし、YouTubeでアジア人がバイクから落ちる動画を見ることもできる。しかしこれは簡単なことではない。おそらく不可能だろう。それゆえ「下働き」が必要になる。

かつて、田園地帯に住む裕福な農家は「下働き」を雇っており、煙突に落ちた鳩の死骸を掃除させていた。あるいは、車のエンジンを始動させたり、衛星アンテナの手入れをさせたりしていた。

下働きはそこで重要な役割を担っていた。しかし、今やそれは昔の話だ。今は壊れたノートパソコンを直しにやって来る「下働き」の方が重用されている。

残念なことに、私の下働きであるヒューゴという男は成功を収め、工業地域に広大なイントラネットを導入することで忙しい。それゆえ、今の彼に無線ネットワークの不具合を直してくれるように頼むのは、レッド・ツェッペリンに4歳の子供の誕生日パーティーを祝うように頼むような話になってしまった。

しかし、私の家についてよく知っているのが彼しかいないため、問題が起こる。外にいる人間が私のメールを勝手に読んでしまわないようにする方法を知っているのも彼だけだし、娘のノートパソコンから私の携帯に通話をさせるコードを知っているのも彼だけだ。家にあるあらゆるソケットやらケーブルの種類を知っているのも彼だけだ。しかし彼はいなくなってしまった。

そのため、私のiPhoneがAPNやらユーザーネームやらパスワードやらを求めてきた時、私に為す術はなくなってしまった。VPNとは何かということすら知らないため、それをオンにするべきなのかオフにするべきなのかも分からなかった。データローミングとやらについても同様だ。WEPかWPAかWPA2か選べと言われたところで私には分かるはずもない。

それに当然、あらゆる情報がかつての下働きにロックされてしまっていたため、新しくやってきた下働きにも為す術はなかった。

結果、私は外出先でインターネットに繋ぐことができなくなってしまったのだが、果たしてどうなっただろうか。実のところ、さほど困ることはなかった。なぜなら、外出先において「韓国人が怒り狂う動画が見たい」とか、「ヒューストンの太った女性が自慰行為をする動画が見たい」と思うことは滅多にないからだ。

メールも見ることができなかったのだが、メールで重要な事が伝えられることなどないのでこちらも問題ではなかった。

それに、外出先でインターネットが見られなかろうと、iPhoneは車輪や火、Sky+に並ぶ人類の偉大な発明品であることに変わりはない。これは「こいつなしでどうやって生きていけようか」と思う物の1つだ。

上述の通り、カメラは暗すぎても明るすぎてもその中間でも写真を撮ることはできないが、それ以外のすべての点が素晴らしい。まともなqwertyキーボードで文字をタイプすることもできるし、ミスタイプをしても誤りを魔法を使って直してくれる。それに、電話機能は破裂したソーセージのような指で操作しても間違えることはない。なにより、これはiPodだ。

それに、正直なところ、問題点もない。私のiPhoneは改造してボーダフォンで使えるようにしてあるし、バッテリーの持ちも実のところ良い。4日は持つ。とはいえ、これは私が崖で枝にしがみつきながら強風に煽られでもしない限り電話を使わない人間であることも関係しているだろう。

ここである面白いアイディアが生まれる。なぜAppleは車を作らないのだろうか。

結局のところ、地位のある自動車メーカーは変化することに臆病だ。そういったメーカーはコンパクトMPVさえ革新的だと考えているし、スマートはペニシリンと同列だと考えている。要するに、既存の考えにとらわれないアイディアを出すことはできない。

例えば、どうして車にはステアリングが付いているのだろうか。あるいはペダルやダッシュボードはどうして付いているのだろうか。15歳未満の人間なら、PlayStationのコントローラーでも車を操舵したり加速させたりブレーキをかけることができることを理解しているはずだ。それどころか、PlayStationのコントローラーにはマシンガンを発射させるための余分なボタンまで付いている。

それに当然、ステアリングやダッシュボードがなければ室内空間も広くなるし、高価で重いエアバッグの必要性もなくなる。もっとも、当然ながらこれは私の浅い考えに過ぎない。

Appleが自動車を作れば、自動車版iPodを開発することだろう。そして、カセットテープやLP、8センチCDの代替品となったiPodと同様にこれまでの車に取って代わることだろう。しかしそれまではダイハツ・マテリアで我慢しなければならない。

本質的には、この車は1万995ポンドで購入することのできる小型5ドアハッチバックだ。しかし、写真を見てもらえれば分かる通り、一見すると小型5ドアハッチバックには見えない。まるでアーノルド・シュワルツェネッガーが火星で使っていたジョニー・キャブのような見た目だ。

しかし、iPodにアルバムのカバーのような光沢や楽しさが求められないのと同様に、マテリアのデザインもさほど気にはならないだろう。この車には大きなアドバンテージがある。まさしく"大きな"アドバンテージだ。要するに、室内空間が非常に広い。

ボディサイズは小型のフォルクスワーゲンのように取り回ししやすい。しかし、室内は5人の大人がくつろげる広さだ。

それに居心地も良い。左ハンドルモデルでも右ハンドルモデルでも共通化できるようにメーターが中央部に配されているが、これは見た目にも良い影響を与えている。

それに、装備も充実している。CDチェンジャー(わお!)やエアコン、リアパーキングセンサーが標準装備だし、800ポンド払えばATも選択できる。

1.5Lエンジンが搭載されており、高速道路を走行するのに十分なだけのパワーを発揮してくれる。重い上にパワーも足りず、追い越し車線に出ることができない最近の欧州コンパクトとは違う。

しかし正直なところ、運転すると非常に怖い。どうステアリングを切っても強く跳ねて抵抗するし、フロントシートのサポート性は皆無なため、まったく荒くない運転でも運転席から転げ落ちてしまいそうになる。

とはいえ、こんなことは問題ではない。ダイハツ車がスポーティーでないと批判するのは、まるでポストマン・パットの配達バンがマッシュポテトを料理するのに適していないと批判するようなものだ。

唯一批判したい点は燃費性能だ。倉庫と同等の空力性能しか持たないことが関係しているのか、エンジンの排気量が普通よりも大きいことが影響しているのか、燃費性能はさほど良くない。平均で15km/L程度だ。

これにより、維持費は年間数ポンドほど高く付くだろうが、それだけの価値はあると思う。私はこの車を気に入った。それに、もうすぐ廃車となるフォルクスワーゲンのマイクロバスに代わる車を探している母親や老婆、サーファーなんかもこれを気に入ることだろう。

ダイハツは長らくの道を外れ、自動車業界が考えるところの革新的で大胆な道を選んだ。マテリアは真に驚異的な車だ。


Daihatsu Materia