以前、2013年にジェレミー・クラークソンが書いたアルファ ロメオ 4Cの試乗レポートを掲載しましたが、今回は今年書かれた2度目の試乗レポートを日本語で紹介します。


4C

何年も前、『AUTOCAR』というクソ真面目な自動車雑誌のライターが、スーパーマーケットの駐車場にスーパーカーを停めると「大混乱」が生じると書いた。

彼の言うところの「大混乱」という言葉が私の中の定義と同じなのかは分からない。私の長い人生の中で、スーパーカーのために命懸けで叫びながら走ったり、スーパーカーのためにガソリン缶を警察官に投げつけたりするような人間を見たことはない。最も車高が低く、最も黄色く、最もうるさいランボルギーニですら、人々をガソリンスタンド併設の売店に走らせ、菓子を盗み、店員を殺して放火するように駆り立てることはない。

イタリアでは車好きが少し集まってくるかもしれないが、それ以外の場所では、特にイギリスではせいぜい子供が興奮するくらいだ。私の辞書の中では、これは大混乱とは言わない。

しかし、今回紹介するアルファ ロメオ 4Cであればちょっとした騒ぎくらいは起こると言わざるをえない。ハリソン・フォードが道の真ん中でスペースホッパーに乗って跳ねていたとしても誰も二度見しないような地であるところのロンドンでさえ、会社から出てきた女性が横断歩道の真ん中で4Cに見蕩れて立ち止まってしまうことだろう。そして、バスの乗客は携帯のカメラを立ち上げる。

他のドライバーは拍手を送ることだろう。これは大混乱とは程遠いが、しかしこれまで量販車に乗っていてこれほどの羨望の眼差しを受けたことはない。まるでガンジーとダイアナ妃が合わせて転生したかのようだ。

人々がこの車を気に入る理由は単純だ。この車はスポーティーで楽しくて他とは違うが、まったく脅迫的でない。まるでフェラーリの子犬だ。しかし残念ながら実車にはいくつか問題がある。何から話そうか。まず、ステアリングは非常に安っぽい。

それに、駐車して車の外に出るのも大変だ。車幅はあまりに広く、そもそも普通の駐車場に停めることすらできない。それにもしなんとか駐車スペースに潜り込めたとしても、ドアを人が出られるほどに開けることはできない。実質的には、この車に乗れば一生降りられない。

他にもある。トランクリッドは上がった状態で留まってはくれない。後方視界はほとんど存在しない。操作系はあまりに安っぽく、これに比べたらステアリングは最高級品だし、走っているとドアの下から隙間風が入ってくるし、高級感は皆無だ。

「そんなこと言って、運転するのは楽しいんだろう」と言う人もいるだろうが、そんなことはない。F1カーやマクラーレン・P1のようにカーボンファイバーを使っているし、小排気量の1,742ccターボエンジンを使うことで車重は非常に軽くなっているが、ステアリングには元気がなく、パワーアシストも付いておらず、ブレーキにはフィールというものがそもそも存在しない。車を止めるためには経験的な記憶を辿るほかない。

そして音だ。街中では楽しい。この車は元気良く騒ぎ立てる。しかし、先週の土曜日にこの車でM1を通ってイギリス中部に行ったのだが、ワットフォードに至る頃にはもううんざりしてしまった。恐らく耳からは本当に出血していたと思う。果敢にも私は110km/hを出してみたが、その際にはマヌエル・ノリエガがアメリカ軍の侵攻を受けた時の気持ちが分かった気がした。私は車から降りたくなった。しかしもちろん、車から降りることはできない。

これ以上に酷いことはないだろうと思った。しかしノーサンプトンシャーで1,100kmにわたる工事があり、オービスにより制限速度の80km/hがしっかり守られているか監視されていた。そこにはヘルメットを被り、蛍光ジャケットを着た中年女性が描かれており、「私の母親がここで働いています」と書かれ、ドライバーに安全運転を促していた。

馬鹿を言わないで欲しい。言うまでもなく私の母親はそんな場所で働いてなどいない。誰の母親もそんな場所では働いているはずがない。

ともかく、80km/hで走ることを強制されたおかげで騒音はグレートフル・デッドと同等にまで抑えられたのだが、今度は別の問題が浮上してきた。路面電車の線路だ。

かつて私はイタリアで4Cに乗っているのだが、道の溝に乗り上げると挙動がおかしくなるという問題は英国仕様ではホイールが小さくなって解決するものだと思っていた。しかしそんなことはなかった。なんということだ、とても怖い。ひたすらまっすぐ進み続けたかと思えば、突然車が左に曲がる。あるいは右に。前触れもなく、未来を予知できるターミネーターでもない限りはドライバーに為す術はない。

さらに悪いことに、結局この車は本当に大混乱を引き起こしてしまった。他の車に乗っていた人達は誰もが写真を撮るために群がってきて、私に為す術はなくなってしまった。私が減速すれば他の車も一緒に減速し、結果的に後続車に渋滞が起こってしまった。それに、免許の点数が危ないので加速することもできなかった。イギリスで80km/hに制限しようものなら、渋滞が起こり、ドライバー達の間ではストレスが溜まり続けて非常に危険だ。しかし、アルファにとって80km/h制限は危険どころかほとんど致命的だ。

アルファには他の自動車メーカーが1972年にとうに解決したような問題が山積している。にもかかわらず、私はこの車を愛している。仕上がりが完璧で、電気系統も完璧で、サスペンションも完璧な車はただの機械に過ぎない。一方のアルファには欠点があり、そしてドライバーの意思を無視して自分の行きたいと思う場所へと走る。まるで人間だ。

きっとこの車は間違うことも多いだろう。しかしそれはあなたの恋人だって同じなはずだ。しかし、だからといって恋人の代わりに図書館の司書を選ぶだろうか。

確かにアルファから降りるのは非常に大変だったが、アルファに乗り込む時にはとても気分が良かった。なぜなら、この車には自分の意思があり、運転していて非常にわくわくした。運転していて幸せになれる車は何台も乗ったことがあるが、こんな気分になったことは今までに一度たりともなかった。この車には深い深い喜びがある。

問題は、現実的には誰かにこの車を買うように薦めることはできないという点だ。それに、私自身、買うつもりはない。この車には車好きが求める全てが備わっているが、やかましく叫び、勝手に向きを変えるこの車に乗っていれば、間違いなく正気ではいられないだろう。

私は今仕事がなくて暇なので、是非アルファに提言したい。この車の野生児的な本質はそのままに、本当に危険な棘だけヤスリで削れば、理想的な車ができると思う。

さて、最後にこの車の総評を述べる必要がある。車としては、この車は40点だ。非常に出来の良いステレオに20点、高い燃費性能に20点を与えた。しかし、モノとしてなら120点を与えたい。


The Clarkson review: Alfa Romeo 4C coupé (2015)