イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「Driving.co.uk」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、ポルシェ・ケイマンGTSのレビューです。


Cayman-GTS

いずれ、ほとんどの人間が車を欲しいと思わなくなることだろう。自動車産業は強力で刺激に溢れていると考える人もいるかもしれないが、現実はこうだ。今の自動車産業はまるで太陽が消え行く直前に強く光り輝くかのごとく、最後の輝きを放っている。

問題は単純だ。友達がいないような数少ない奇人を除いて、現代の若者はそもそも車に全く興味を持っていない。私は17歳になってすぐ、道路に出るために免許を取った。私は車を、車がもたらす自由のためにではなく、1トンの機械を160km/hで走らせる喜びを得るために欲しいと思った。

私の息子は全く違っている。彼は今19歳だが、運転免許試験を受けたいと考えてはいない。彼の主張は単純だ。彼のマンションの目の前で送迎車が止まり、Wi-Fiの嵐の中でその車が彼をオックスフォードへと連れて行ってくれる。11ポンドで。

もし他の場所に行きたければ、電車やバスとやらを使えばいいらしい。あるいは、Uberという手段もあるし、天気が良ければ貸自転車を使うという選択肢もある。彼はアルコール検知テストやらスピード違反の罰金やら駐車違反切符やら無事故戻し金やらのことを心配する必要はない。息子は車を持っていないからこそ自由だと考えている。

開けた道に連れて行き、風を感じながらストレートシックスの唸りを聞かせても意味はない。彼は車をそんな風には見ていない。それにもちゃんと理由がある。彼は子供の頃、ボルボのリアシートでチャイルドシートに拘束されながら、果て無き渋滞の中で学校へと向かっていた。これでは自動車に関係するどんな夢も生まれようがない。渋滞にはまるボルボに乗りながら、大人になったらこんな風に車を運転してみたいと思うはずがない。

それだけではない。私が子供の頃、テレビは日夜モータースポーツを取り上げていた。ラリークロスがあり、フォード・コーティナや巨大なアメリカンマッスルカーとともにミニが車輪を並べて走っていた。そして、フォーミュラ・ワンには、サーキットでの一切の追い越しを禁止する男などいなかった。

ところが現状を見て欲しい。F1はあまりにつまらなくなり、テレビ局はピットストップのリプレイを流す必要性にすら駆られている。嘘じゃない。先週、バルセロナでのレースで、一度タイヤを交換した後同じ映像がもう一度流れた。誰がタイヤの交換に興味を持っているのだろうか。少なくとも私の息子は絶対に興味などない。そのため、チャンネルを変えて息子とフットボールを見ることにした。

かつてはテレビで自動車番組が放送されていた。ランボルギーニが唸りを上げて走り回り、イタリアの高速道路のトンネルをマクラーレンがエンジン音を轟かせながら走っていた。しかしそんな番組はなくなり、今度放送される自動車番組は、ハイブリッドカーでどれほど走れるかといったエコ精神に満ちたものだろう。

それに車のCMだ。燃え盛るトウモロコシ畑やコートを脱ぎ捨てる美女は消えてなくなった。今や、ユーロポップに乗せて、9.99ポンドの値引きが強調されている。こんな売り方は冷蔵庫と変わらない。

そもそも、実用性を売りにしたいなら、実用性のあるものを売るべきだ。そして結局、車は実用的ではない。とはいえ、そこかしこにスーパーが溢れ、食品を冷やす必要がなくなった今、冷蔵庫さえ実用的とはいえない。冷蔵庫を捨てればキッチンにスペースが生まれることだろう。そして、同じようにしてガレージにスペースを作ればいい。なぜなら、車など必要ないからだ。今となっては、まったくもって必要ないものだ。

私の時代には、運転席にはフランス人のプレイボーイが、助手席にヘッドスカーフを付けたクラウディア・カルディナーレを乗せ、アルファ・ロメオのオープンカーで海岸を駆け抜けていた。一方で今の世代が見るのは、シリア人の会計士が助手席に壊れたポータブルナビを載せ、薄曇りの火曜日にプリウスで渋滞にはまる姿だけだ。

何よりの悲劇は、このことに自動車メーカーが気付いていないということだ。自動車に夢をもたせようというアイディアが一切合切、全く、存在しないということだ。

例えば、ジャガーはスポーティーカーを作っており、今後さらにスポーティーなモデルを発売する予定だ。しかしその車は死にかけの年寄りに向けられている。大抵の人は静粛性と20km/Lを求めている。そして若者はそもそも車を欲しいとさえ思っていない。290km/hで走る車など欲するべくもない。

ポルシェにも似たような問題がある。最近ケイマンSに乗ったのだが、この車は非常に正確で、太古の昔に車への愛を芽生えさせた50代男性には完璧なスポーツカーだ。

そしてポルシェは次に何をしただろうか。ポルシェが次に出したのは、より低く、よりうるさく、よりスポーティーなGTSという車だ。……。ポルシェは、世の中に「おお! 新しいケイマンは10mm車高が低くなってコーナリング性能が上がったのか」と考える人間が溢れているとでも思っているのだろうか。そんなはずがない。

とはいえ、それはポルシェの問題であり、車自体の問題ではない。このケイマンGTSは少し奇妙な車だ。というのも、この車は2011年に登場したケイマンRの正当な後継車ではない。ケイマンRには装備が一切付いておらず、サーキット走行用に設計されていた。一方、GTSには必要な装備は全て付いており、非常に合理的だ。にもかかわらず、Rよりもパワフルで速い。奇妙だ。

しかも、普通のケイマンSにGTSに付いている装備を全て付けると、値段はほとんど同じになる。やはり奇妙だ。

GTSは他に車が1台も存在しない道路では素晴らしい車だが、Sとの違いはストップウォッチを使わなければ分からない。コーナリング性能も、直進性能も、乗り心地も、GTS、Sともに同じくらい素晴らしく(ただし道の悪い市街地での乗り心地は良くない)、どちらも少しやかましい。特にGTSはやかましい。なので、私ならばSを選ぶ。

Sの問題点は2つしかない。1つは、この車のパドルシフトが好きになれないという点で、もう1つは、シートが壊滅的に快適性に欠けているという点だ。一方、今回試乗したGTSはマニュアル車で、古臭いかもしれないがよりシャープな印象を受けたし、シートもこちらのほうが印象が良かった。

しかし、だからといって快適だったというわけではなく、1週間をこの車とともに過ごした後、私はマッサージ店に行かなければならなくなった。

結局、私にはGTSの意義がわからない。ポルシェはこんな車を作ってコーナリングスピードを微粒子レベルで向上することに執心しているようだが、実際に必要なのは夢のある車を作ることだ。Gフォースのことを考えることよりも、Gスポットのことを考えることのほうが重要だ。

車にはさらなる魅力が必要だ。ヘッドスカーフを付けたイタリア人女優よりももっと魅力的なものが必要だ。我々に必要なのは新たなジェームズ・ディーンだ。彼は100万人のエンジニアの努力以上に、車を売ることに貢献してきた。


The Clarkson review: Porsche Cayman GTS (2015)