イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンが英「Driving.co.uk」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。
今回紹介するのは、ホンダ・CR-V ディーゼルのレビューです。

つい最近まで、ホンダは目立っていた。まるでヌーの群れに紛れ込んだキリンのように目立っていた。ホンダは他とは違っていた。奇妙だった。賢明だった。楽しかった。他の車よりも良かった。
1990年には、ミッドエンジン・2シーターのNSXがあった。この車は小さなV6エンジンを搭載しながら、ランボルギーニやフェラーリと同じ土俵に立っていた。蝶のように舞い、蜂のように刺す、そんな車だった。吸気音は魂に響いた。
日本車の性質は洗濯機と同じだと言われることも多い。それも事実だ。日本の自動車メーカーは万人を幸せにするために車を作っている。スウォンジーの退職した郵便局長も、アフリカ東部のタクシードライバーも、ヒューストンのサッカーママも。
しかし、今の政治家なら誰でも知っているように、万人を幸せにしようとすると、その結果は少し退屈だ。NSXはそれに抵抗して独自性を持とうとした。NSXはスーパーカー界のボリス・ジョンソンだ。
CR-Xという車もあった。これは車としての機能を持たない1.5Lのクーペだ。リアシートは鳥の巣くらいしかなかった。エンジン音はネズミの鳴き声のようだった。快適性も酷かった。しかし私はこの車の異様さに惹かれ、発売されたその日に1台購入した。
プレリュードも気に入っていた。当時のクーペの大半は普通のセダンをベースとしていた。カプリは滑稽なノーズの付いたコーティナだった。シロッコはゴルフだった。カリブラはキャバリエだった。しかしプレリュードはプレリュードだった。ホンダは他の車とパーツを共有してコストを削減しようとはしなかった。おかげで最高の出来の車になり、見た目も素晴らしく、リトラクタブルヘッドランプも付いていた。これがホンダのやり方だった。他の車とは違っていた。他の車よりも良かった。
しかし、これだけの異様さを持っていたにもかかわらず、ホンダは決して会社の起源を見失うこともなかった。この会社はトヨタ向けのピストンリングの製造に端を発しており、品質こそが全てだということを理解していた。
ホンダは車の信頼性は高くなければならないということを理解していたし、実際にそれを実現していた。可変バルブ機構は機械的技術と電気的技術の融合だ。ゆえに問題点があるのも当然と思うことだろう。それが自然だ。ところが、ホンダが製造した1,500万のユニットの中で、クレームがあったのはどれほどだろうか。正解はゼロだ。
つまり、ホンダは壊れることのないiPhoneだった。動くスタイルアイコンだった。チャールズ・バベッジが求めた、機械の確実性を具現化していた。別の言い方をすれば、エンジンのかかるアルファ・ロメオだった。
シビックタイプRを覚えているだろうか。まさにマシンだった。あるいはインテグラも、あるいは初代インサイトもそうだった。それにS2000なんて車もあった。これはマツダ・ロードスターを強化したような車だった。ロードスターよりもわずかに大きく、見た目は男らしかった。このソフトトップの2シーターには9,000rpmまで回るエンジンが搭載されており、毎日乗ることができた。
車だけじゃない。オートバイも、発電機も、船外機も、芝刈り機も、エンジンポンプも、モペッドも。そのどれもが世界中で重用され、ビーチ・ボーイズの歌にまで歌われている。リーフブロワーも、四輪バイクも、燃料電池も、それに世界大会で6連勝したF1マシンもあった。
これら全ての業績は最高のテレビCMの中に登場している。アンディ・ウィリアムスの『The Impossible Dream』に乗せ、中年の男がホンダのあらゆる製品に乗ってニュージーランドを駆け抜けていくというCMだった。このCMを見れば、CMに登場したホンダの製品に乗りたくなることだろう。
しかし、今のホンダで乗りたいものはあるだろうか。ジャズ(日本名: フィット)か? シビックか? アコードか? ハイブリッドカーか? この選択問題の答えはおそらく「E」だろう。つまり、なしだ。
ホンダのイギリスでのラインアップはヴィクトリア朝時代のティーセットくらいに悲惨だ。信頼性は残っているものの、かつてあった革新も、才能も、すべて失われてしまった。ホンダは落ちぶれてしまった。
私はCR-Vに1週間乗ったのだが、これは巨大で高価なバケツ以外の何物でもない。ホンダいわく新型モデルは大幅に改良されているというが、具体的な情報からはそうは感じられない。例えば、CR-VにはLEDデイライトが装備されている。けれどこれは他の車も同じだ。
この車にはパワーテールゲートがついている。このため、自分の手で開ければ1秒で済むところを、雨の中でも5秒間モーターがテールゲートを開けるのを待つ必要がある。CO2排出量は12%削減しているというが、こんなものはクマでもない限り関係のないことだ。4WDシステムは油圧式から電子式に変更されている。別の言い方をすれば、これは「改悪」だ。
試乗車にはディーゼルエンジンが搭載されていた。ホンダは大手自動車メーカーとしてはディーゼルエンジンを作るのがかなり遅れている方で、他の自動車メーカーのディーゼルエンジンのレベルには達していない。うるさいし、粗いし、BMWのエンジンに比べればパワーも足りない。
室内に目を向ければ、装備内容は至って平凡で、気になるところもいくつかある。ナビ周辺に並ぶボタンは小さすぎて何のボタンなのかよくわからないし、もう1つモニターが付いているのだが、これは必要のない情報ばかりを教えてくれる。例えば、トリップメーターをセットしてから経過した時間などだ。ソロモン諸島の満潮時刻を教えてくれた方がまだ有意義だ。
リアシートは先代モデルよりも38mm低くなっている。こんなことに言及したのは他に言うべきことがないからだ。この車を運転していると、一体誰がこんな車に31,000ポンド以上払うのかと不思議に思った。シート数はヴォクスホール・アストラと同じだし、パートタイム4WDを備えた荷室の広い車がほしいなら、フォードにもヒュンダイにもキアにも、これよりまともで値段も安い車がある。
結局、これを購入するのはキャンピングトレーラーユーザーなのではないだろうか。キャンピングトレーラーを使うような人はイギリス独立党に投票するような人間であり、ゆえにCR-Vがイギリス製だから気に入る。
彼らはホンダの信頼性やちょっとした坂道に対応できる4WDシステムも好む。それに、言うまでもなく、傘にウインドブレーカー、長靴などといった、イギリスで夏休みを過ごすために必要な各種用具を入れることができる荷室スペースも気に入っている。
そうはいっても理解はできない。夏の2週間のために車を選ぶのは、毎年2月にスキーに行くからと年中スキー靴を履いて過ごすような話だ。
こういったタイプの車を購入する理由はない。それにもしどうしても購入したいにしても、ホンダを選ぶ理由は存在しない。ランドローバー・フリーランダーや日産・エクストレイルのほうがよっぽどいい車だ。
ホンダは考えを改める必要がある。新型NSXが出るそうだが、私はそれに非常に期待している。しかし、新型NSXは他とは違う車でなくてはならない。他よりも良い車でなければならない。そうでなければ、誰もNSXを買う理由を見いだせない。
The Clarkson review: Honda CR-V 2.2 diesel
今回紹介するのは、ホンダ・CR-V ディーゼルのレビューです。

つい最近まで、ホンダは目立っていた。まるでヌーの群れに紛れ込んだキリンのように目立っていた。ホンダは他とは違っていた。奇妙だった。賢明だった。楽しかった。他の車よりも良かった。
1990年には、ミッドエンジン・2シーターのNSXがあった。この車は小さなV6エンジンを搭載しながら、ランボルギーニやフェラーリと同じ土俵に立っていた。蝶のように舞い、蜂のように刺す、そんな車だった。吸気音は魂に響いた。
日本車の性質は洗濯機と同じだと言われることも多い。それも事実だ。日本の自動車メーカーは万人を幸せにするために車を作っている。スウォンジーの退職した郵便局長も、アフリカ東部のタクシードライバーも、ヒューストンのサッカーママも。
しかし、今の政治家なら誰でも知っているように、万人を幸せにしようとすると、その結果は少し退屈だ。NSXはそれに抵抗して独自性を持とうとした。NSXはスーパーカー界のボリス・ジョンソンだ。
CR-Xという車もあった。これは車としての機能を持たない1.5Lのクーペだ。リアシートは鳥の巣くらいしかなかった。エンジン音はネズミの鳴き声のようだった。快適性も酷かった。しかし私はこの車の異様さに惹かれ、発売されたその日に1台購入した。
プレリュードも気に入っていた。当時のクーペの大半は普通のセダンをベースとしていた。カプリは滑稽なノーズの付いたコーティナだった。シロッコはゴルフだった。カリブラはキャバリエだった。しかしプレリュードはプレリュードだった。ホンダは他の車とパーツを共有してコストを削減しようとはしなかった。おかげで最高の出来の車になり、見た目も素晴らしく、リトラクタブルヘッドランプも付いていた。これがホンダのやり方だった。他の車とは違っていた。他の車よりも良かった。
しかし、これだけの異様さを持っていたにもかかわらず、ホンダは決して会社の起源を見失うこともなかった。この会社はトヨタ向けのピストンリングの製造に端を発しており、品質こそが全てだということを理解していた。
ホンダは車の信頼性は高くなければならないということを理解していたし、実際にそれを実現していた。可変バルブ機構は機械的技術と電気的技術の融合だ。ゆえに問題点があるのも当然と思うことだろう。それが自然だ。ところが、ホンダが製造した1,500万のユニットの中で、クレームがあったのはどれほどだろうか。正解はゼロだ。
つまり、ホンダは壊れることのないiPhoneだった。動くスタイルアイコンだった。チャールズ・バベッジが求めた、機械の確実性を具現化していた。別の言い方をすれば、エンジンのかかるアルファ・ロメオだった。
シビックタイプRを覚えているだろうか。まさにマシンだった。あるいはインテグラも、あるいは初代インサイトもそうだった。それにS2000なんて車もあった。これはマツダ・ロードスターを強化したような車だった。ロードスターよりもわずかに大きく、見た目は男らしかった。このソフトトップの2シーターには9,000rpmまで回るエンジンが搭載されており、毎日乗ることができた。
車だけじゃない。オートバイも、発電機も、船外機も、芝刈り機も、エンジンポンプも、モペッドも。そのどれもが世界中で重用され、ビーチ・ボーイズの歌にまで歌われている。リーフブロワーも、四輪バイクも、燃料電池も、それに世界大会で6連勝したF1マシンもあった。
これら全ての業績は最高のテレビCMの中に登場している。アンディ・ウィリアムスの『The Impossible Dream』に乗せ、中年の男がホンダのあらゆる製品に乗ってニュージーランドを駆け抜けていくというCMだった。このCMを見れば、CMに登場したホンダの製品に乗りたくなることだろう。
しかし、今のホンダで乗りたいものはあるだろうか。ジャズ(日本名: フィット)か? シビックか? アコードか? ハイブリッドカーか? この選択問題の答えはおそらく「E」だろう。つまり、なしだ。
ホンダのイギリスでのラインアップはヴィクトリア朝時代のティーセットくらいに悲惨だ。信頼性は残っているものの、かつてあった革新も、才能も、すべて失われてしまった。ホンダは落ちぶれてしまった。
私はCR-Vに1週間乗ったのだが、これは巨大で高価なバケツ以外の何物でもない。ホンダいわく新型モデルは大幅に改良されているというが、具体的な情報からはそうは感じられない。例えば、CR-VにはLEDデイライトが装備されている。けれどこれは他の車も同じだ。
この車にはパワーテールゲートがついている。このため、自分の手で開ければ1秒で済むところを、雨の中でも5秒間モーターがテールゲートを開けるのを待つ必要がある。CO2排出量は12%削減しているというが、こんなものはクマでもない限り関係のないことだ。4WDシステムは油圧式から電子式に変更されている。別の言い方をすれば、これは「改悪」だ。
試乗車にはディーゼルエンジンが搭載されていた。ホンダは大手自動車メーカーとしてはディーゼルエンジンを作るのがかなり遅れている方で、他の自動車メーカーのディーゼルエンジンのレベルには達していない。うるさいし、粗いし、BMWのエンジンに比べればパワーも足りない。
室内に目を向ければ、装備内容は至って平凡で、気になるところもいくつかある。ナビ周辺に並ぶボタンは小さすぎて何のボタンなのかよくわからないし、もう1つモニターが付いているのだが、これは必要のない情報ばかりを教えてくれる。例えば、トリップメーターをセットしてから経過した時間などだ。ソロモン諸島の満潮時刻を教えてくれた方がまだ有意義だ。
リアシートは先代モデルよりも38mm低くなっている。こんなことに言及したのは他に言うべきことがないからだ。この車を運転していると、一体誰がこんな車に31,000ポンド以上払うのかと不思議に思った。シート数はヴォクスホール・アストラと同じだし、パートタイム4WDを備えた荷室の広い車がほしいなら、フォードにもヒュンダイにもキアにも、これよりまともで値段も安い車がある。
結局、これを購入するのはキャンピングトレーラーユーザーなのではないだろうか。キャンピングトレーラーを使うような人はイギリス独立党に投票するような人間であり、ゆえにCR-Vがイギリス製だから気に入る。
彼らはホンダの信頼性やちょっとした坂道に対応できる4WDシステムも好む。それに、言うまでもなく、傘にウインドブレーカー、長靴などといった、イギリスで夏休みを過ごすために必要な各種用具を入れることができる荷室スペースも気に入っている。
そうはいっても理解はできない。夏の2週間のために車を選ぶのは、毎年2月にスキーに行くからと年中スキー靴を履いて過ごすような話だ。
こういったタイプの車を購入する理由はない。それにもしどうしても購入したいにしても、ホンダを選ぶ理由は存在しない。ランドローバー・フリーランダーや日産・エクストレイルのほうがよっぽどいい車だ。
ホンダは考えを改める必要がある。新型NSXが出るそうだが、私はそれに非常に期待している。しかし、新型NSXは他とは違う車でなくてはならない。他よりも良い車でなければならない。そうでなければ、誰もNSXを買う理由を見いだせない。
The Clarkson review: Honda CR-V 2.2 diesel
ランチア・デルタ、ロータス・エラン S2以外にもローワン・アトキンソン氏のレビューがもしあれば翻訳していただきたいです。