イギリスの大人気自動車番組「Top Gear」の司会者の1人、ジェレミー・クラークソンが英「Driving.co.uk」に寄稿した試乗レポートを日本語で紹介します。

今回紹介するのは、メルセデス・ベンツ S500Lのレビューです。


S500L

6年間かけて医学士の学位を取ろうと思う人は、心血管疾患の最先端を行く研究者になろうとしているはずだ。つまり、あらゆる総合診療医の人生は後悔と失望に終わるということだ。

建築家にも同じことが言える。誰も安物の家向けのトイレ一体型バスルームを設計するテイラー・ウィンピーの社員で終わろうなんて願わない。誰もが大聖堂の設計をしたいと望んでいる。あるいは、超高層ビルの設計をしたいと望んでいる。安物の便所なんかではない。

私がジャーナリストになろうと考えた時、最前線に立ち、弾丸を躱しつつ軍事指導者にインタビューを行うというビジョンを持っていた。決して、今、ここに座って、日夜、最新のシトロエンの安物車の乗り心地や操作性について書くことなど望んではいなかった。

正直言って、私には何故誰もがこういったことに耐えているのか分からない。何故、夢や希望が壁にぶち当たった時、橋から身を投げて自殺しないのだろうか。どうして続けられるのだろうか。では、私がここで続けている理由を書くこととしよう。私は、今以下の生き方をしたのかもしれない。車について書くのではなく、車の設計をしていたかもしれない。

それがどれだけ恐ろしいことか考えてみよう。子供の頃は、誰もがランボルギーニのデザイナーになりたかったことだろう。羽根やレーザーや火炎放射器や、敵機を撃ち落とす対空ミサイルを載せたランボルギーニが、400km/hで海上を駆け抜ける姿を夢想したことだろう。無論、夢のランボルギーニは水陸両用車だ。

それで、結局どうなるだろうか。結局、フォードにしか入れず、新型フォーカスのリアのウインカーレンズしかデザインできない。そして、望めることといえば、レンズのデザインがうまくいけば、今度はモンデオの後部座席シートベルトのバックルをデザインできるということくらいだ。それが、持つことを許された最大の野望だ。

最近、南アフリカに行った際に、トヨタ・アバンザという車の存在を知った。この車を見て、私はこれが人類の自動車デザインの歴史の中の最暗部だと結論づけた。カタログの装備表には、「運転席・助手席サンバイザー」と書かれており、そんなものしか誇れるものがないほど装備が削られているということが分かる。そして、他に書かれていた装備といえば、マッドガードに大型ドアポケットくらいだ。

確かに、この車は安いし、大きな問題があるわけでもない。それに、こういう車を求める市場があることも知っている。けれど、これを設計しなければいけないかわいそうな人間がいることも忘れてはいけない。デザイナーは、貧相なタイヤに対してボディが大きすぎるということに気づいても、上司にコストの制約上大きなタイヤは付けられないし、南アフリカではそんなものは不要だと言われるだけだ。上司は、2つもサンバイザーをつけ、大型ドアポケットまで装備することでかかるコストのことで手一杯なのだ。

フォルクスワーゲン・ジェッタを見ても同じように感じる。ゴルフディーゼルをさえ急進的で未来的すぎると感じる人に向けられた4ドアセダンは、地味に見せるためにあえてデザインが和らげられている。フェラーリで働きたかった誰かが、トランクをデザインさせられている。彼は夜遅くまで働き、翌朝には上司にもっと地味にしろと言われ、そしてデザインし直すはめになる。

こういった人たちが橋から飛び降りない理由は、彼らの仕事にもちゃんと需要があると理解しているからに他ならない。アデノイドを持った知ったかぶりの人はジェッタを買い、そして満足することだろう。南アフリカの人々はアバンザを買い、まるで新しい赤ん坊のように家族として迎え入れることだろう。

これ以外の世の中に存在する悲惨な車すべてに同じことが言える。日産・ジュークをデザインした人間は、この車がデザインセンスのずれた人々の間で人気になるだろうということを予見していたはずだ。プジョーに勤める人間は、エアコンの吹き出し口の固定パーツが多すぎるとそこでコストカットをしても、どこぞの地理教師は安い車が買えたと喜ぶことを知っているはずだ。吹き出し口が外れるまでは。

ここでメルセデス・S500の話になる。この車のエンジンを開発するという非常に複雑な仕事を任せられた人間は、自分の仕事がいかに時間を無駄にしているかということを分かっていたはずだ。

ここで、改めてこの車の特徴について説明しよう。暗がりだろうと死角だろうと見ることができ、衝突させることなど不可能で、圧倒的に快適で、会議室のプラズマテレビほどの大きさのカーナビが付いており、電球など付いていない。ヘッドランプにすらない。ロールス・ロイス ゴーストやベントレー・フライングスパーのようなデザインや威厳はないかもしれないが、賢さの面ではこの2台を圧倒する

ただ、Sクラスの顧客には2種類しかいない。1つはロンドンの会社で、ジェリ・ハリウェルを運転手付きで劇場へと送迎するために使う。もう1つはモスクワの会社で、オレグを運転手付きで機関銃の演習に送迎するために使う。

ジェリを乗せるような会社は、顧客の誰も気付かないだろうと経済的なS350ディーゼルを購入する。オレグを乗せるような会社は、もし安物など購入したらオレグに心臓を撃たれかねないので、5.5L V8エンジンを積む高価なS63 AMGを購入する。

では、ガソリンエンジンを搭載するS500に何の存在価値があるのだろうか。この車は88,395ポンドと、119,835ポンドのS63 AMGと比べれば安い。しかし、価格など関係ない。価格を気にするなら、62,905ポンドの値段で、ランニングコストもよっぽど安いS350ディーゼルを買えばいい話だ。こちらのほうがコストパフォーマンスも高い。

扇情的なV8のパフォーマンスは不要だが、ディーゼルのガラガラ音も嫌な人には中間グレードのS500がぴったりだと考える人もいるかもしれない。ただ、それもナンセンスだ。私は何度もディーゼルのSクラスに乗ったことがあるが、ガラガラ音など皆無だ。実際、燃料の種類を言い当てることなど不可能だ。

どう考えを巡らせてみても、S500よりも無意味な車には思い至ることができない。先日、ロンドンからサリーのTop Gearテストトラックまでこの車に乗って移動したが、素晴らしかった。静かで、落ち着いていて、乗り心地は美しかった。

しかし、エンジンを設計した人間は、もっと安いモデルでもこれと全く同じことができるということをよく知っている。


The Clarkson review: Mercedes-Benz S 500 L (2014)