新型アウディ・TTは日本では未発売ですが、欧州では既に発売されています。以前に新型TT 2.0 TFSI quattroの試乗レポートを掲載しましたが、今回は、英国の人気自動車番組「Top Gear」でおなじみのジェレミー・クラークソンによる同車の試乗レポートを日本語で紹介します。


TT

初代アウディ・TTの発表会の際は完全に酔っ払っていて何があったのかよく覚えていない。それはイタリアで行われ、いやフランスだったかな、そして確かゲストの1人に初めて会うジェームズ・メイという素晴らしい衒学者がいたような気がする。

およそ2日間にわたるほどの長々しいプレスカンファレンスにおいて、ドイツ人のエンジニアがあらゆるボルトからあらゆるナットについて延々つまらない話をし続け、その内容はほとんど思い出せないが、誰かがスタイリングがまさにバウハウスだと話したことだけはしっかりと覚えている。

これは重要に思えたので、黎明期のTop Gearでこの車をレビューした際にはこのことに言及するべきだと考えた。なので私は真面目な顔をして「スタイリングはまさにバウハウスだ」と言った。

ジェームズ・メイという衒学者を含む他のモータージャーナリストも全く同じことをした。誰もがそうした。そしてすぐに、自動車の世界に身を置く誰もがこの素晴らしいアウディの新型車について、誰もが「私はこのバウハウス的なスタイリングが好きだ」と言った。もっとも、誰もバウハウスとは何なのかなんて知らなかったのだが。

これはおそらく「キャビンアテンダントにアピールするデザイン」という意味だろう。なぜなら、すぐに彼女らはTTの主要購買層となったのだから。真面目な話、今度外出した際に観察してみれば分かる。すべてのTTはけばけばしいスカーフを巻いた女性がM23で運転しているはずだ。

少し気味が悪い。アウディはスポーツカーを作った。ターボエンジンを搭載し、4WDで、滑らかで、ダイナミックで、バウハウスで、そして240km/hまで加速することができる。それなのにこの車はキャビンアテンダントに買われ、ガトウィック空港の職員駐車場まで運転されたあとは、マイアミまでオーナーが副操縦士と軽くセックスをしながらフライトしている間、ずっと駐車場に置かれている。後から考えてみればその理由も分かる。この車は曲線的だ。そして日産・マイクラ(日本名: マーチ)やレクサス・SC430などといった曲線的な車は男性には受けない。どこか間が抜けていて、フレンドリーな印象だ。曲線的ということはアグレッシブさに欠けているということであり、銃や戦闘機や戦争などといった男性の世界には場違いだ。男性がレタスを食べない最大の理由も曲線的だからだ。我々は曲線的ではないチップスやキットカットを好む。

アウディも同じ結論を出したことは明らかで、その結果新型TTは丸みがなくなっている。ラインはシャープだし、全体的に鋭角的なデザインとなり、私は非常に素晴らしいデザインだと思う。内装はさらに良い。レクサス・LFAという例外を除けば、これはおそらく私が見てきた車の中でも最高のインテリアだ。試乗車のシートはベントレーのようなキルトレザーだった。これは1,390ポンドのオプションだ。私はこれがとても気に入った。

ただ、私がこれ以上に気に入ったのは自分の好きな様にカスタマイズができるメーターパネルだ。スピードメーターとタコメーターを表示することもできれば、ナビ画面にすることもできるし、ラジオ画面にすることもできる。これを見てしまうとiPadがビクトリア朝時代のタイプライターに思えてしまう。

目の前にすべての情報を表示できるようになったおかげで、ダッシュボードの他の部分はかなりすっきりとしている。

ただこれはウインカーレバーを使うまでの話だ。普通ウインカーレバーは円柱型だが、アウディはここから丸みを取り除いて角張ったデザインとしており、おかげで進行方向を示す際にはまるで上質なハンティングナイフを使っているような気分になる。

ただ、TTはそれほど運転するのが楽しいわけではないし、乗り心地は他のアウディと大して変わらない。つまりそれほど良くはない。ただ、私はその点を声を大にして批判することはできない。この車は崇高なのだ。

まずブレーキについて言えば、これはブレーキの良さというものを再定義している。ブレーキの効きは他の車と大して変わらないが、ペダルフィールは恐ろしく良い。減速と走行軌道と距離の関係式が減速するたびに心の中に直接入り込んでくるようだ。正直なことを言えば、TTのブレーキと比較してしまうと他の車のブレーキは鉄屑か何かから作られているのではないかとさえ感じてしまう。

同じようなことが車のフィーリングを変えるボタンにも言える。最近では多くの車にこのようなものが付いているのだが、正直言ってそのほとんどは無意味だ。ボタンを押しても何も変わらないか、快適性を大きく損なうかのどちらかだ。ところがTTのそれは何度も使いたくなるようなものだ。

高速道路でコンフォートモードとすればまさに快適になる。街中でエフィシェンシーモードにすれば燃費性能がかなり向上するし、幹線道路でダイナミックモードにすればギアチェンジのたびにエグゾーストから排気音が聞こえてくる。そしてスピードを上げていけば、すべてがしっかりしているため、それ以上にどんどんスピードを上げたくなる。

ステアリングやコーナリング、乗り味、加速性能、ブレーキのすべてがドライバーをダニエル・リチャルドになったかのような気分にさせ、車の良さのお陰で成功したような気分となる。この車は素晴らしい。

にもかかわらずこの車のリアシートには2人の普通の人(ただし頭や脚は付いていない)が無理なく座ることができるし、トランクは非常に使いやすい。この車は実用的で経済的で安全で、そして静かで穏やかだ。それに何よりこの車はアウディなので、つまりこれはフォルクスワーゲンだということで、つまり作りもまともだということだ。

この車はここ何十年のうちでも最高のアウディなのだが、それでも実のところ私はこれを買うつもりがない。なぜなら…。こういう言い方をしてみよう。フロントホックのブラジャーを着けた女性工作員が男性を誘惑しているのを想像して欲しい。それならどうだろうか。

こういった下着は実用的だし内なる男性ホルモンにアピールするだろうが、自分が工作員の下着を着けていると周囲に吹聴して回ることはできないだろう。

もう1つ問題がある。トム・クランシーの小説に出てくるステルス駆逐艦のような技術の備わったシャープなデザインの新型車に対して、キャビンアテンダントは少し拒否感を抱くかもしれない。この車はどこかストームトルーパーに似ている。

そしてこれが問題だ。この車はドレスを着たマシンガンだ。ブリティッシュ・エアウェイズのキャビンアテンダントに人気のバッジを付ける一方で、中身は自動車ファンサイトで話題をさらうような車だ。つまり、アウディは誰も買おうとしないような素晴らしい車を作ってしまったということだ。


The Clarkson review: Audi TT 2.0 TFSI quattro S line (2015)